Re;Tri ― Ruler

11 賢母と問題児

 珍しく平和な昼下がり――というわけではなく。初動部シトロス隊長である一等補助官、シトリア=シトロスは抑止庁内をうろうろと歩き回っていた。探している部下がいるのだが、逃げ回っているようで全く影も形も見当たらない。逃げ足で本気を出されても困るな、と呆れた溜め息を一つ。できることならその努力は仕事でしてほしいものだ。

「あ、シトリア隊長ー。お疲れさまですー」
「お疲れさま。……ああ、ウル坊のとこの子だね」

 シトリアの言葉に、きょとんと首を傾げたのは強襲部ツヴァイ所属の三等補助官であるアーテム=クルーグハルトだ。入隊直後は隊の雰囲気に馴染むことができずに本当に辞めそうだったので心配したのだが、何とか続いているらしい。脱落しそうなのであればこちらで引き取るべきかとも考えていたのだが、結局のところ彼の人間性は強襲部ツヴァイにそう悪くはない影響を及ぼしているようなので――まあ本人としてはたまったものではないだろうが――静観しておこうと思った後はあまり気にしていなかった。
 ふむ、とアーテムの姿を観察する。顔色は悪くないようだ。担がれている彼の歌唱補助機である六弦は綺麗に手入れされている。この状態であれば、特に問題はないだろう。各隊のことについては気にしてはいるが、然程口煩く口出しをするつもりはない。振るい落とされれば一度は受け皿として受け入れる、それがシトリアの『やり方』なので。

「アーテムだっけ。最近調子はどうだい?」
「何とかー……?」
「なら僥倖。……ところでうちの隊の奴を見掛けてないかい? 抑止庁内を絶賛鬼ごっこ中でね」
「珍しいー。誰かー、何かー、したんですー?」
「見回りと称して遊戯場で遊び呆けてる馬鹿がいてね」
「うわあ……、……あ、もしかしてー、イヅキです……?」
「おや、知り合いなのかい?」
「いちおうー、同期? なんでぇ……」

 アーテムの言葉に、ああ、とシトリアは頷く。そういえばそうだった――同期であっても別の隊の人間であれば知らなくても不思議ではないのだが、今探している人物のことを知っているのであれば、アーテムはかなり抑止庁の人間を覚えているのではないだろうか。ふとそんなことをシトリアは頭の片隅で考える。
 イヅキ=シーヴァリップ。初動部シトロス所属の三等補助官のバリアルタであるところの青年は、諸事情あって抑止庁に入庁し最初は内務班として働いていたものの、職務怠慢な勤務態度が問題視されてシトリアのところに回ってきた。暇さえあればどころか勤務時間中でも遊戯場にいる問題児は物怖じしない性格で、良く言えば誰とでも仲良く話せるが悪く言えば馴れ馴れしく、だがその性格故に遊戯場界隈で培われた彼の人脈はかなりのものだ。輪廻士としての腕も悪くはないのに、如何せん彼自身にやる気がない。

「見つけたらー、報告しますねえ」
「うん、頼むよ。そしてよければイヅキと仲良くしてやってくれ」
「やー……それはなかなかー……、イヅキ喋る勢いすごすぎてぇ……」
「それは分かる」


「ちょーまじで見逃してよたいちょおー、今度イイ男紹介するって! 呑みの席用意するから一緒に呑みに行っちゃお? 楽しく呑んで仲良しになろ? それで解決!」
「なーにが解決するんだい、私はいい男を紹介されるよりも部下がいい男になってきっちり仕事してくれる方が有難いよ」
「え? 俺イイ男じゃない? 見て? ちゃんと見て?」
「……仮に見てくれがよくても中身がクズじゃねえ……」
「ひどぉ!? ひどくない!? 俺女の子泣かせたことないもんっ」
「私を泣かせてるだろうこのお馬鹿」
「それはそれ! これはこれ!」
「どれだい」

 半刻後。きゃんきゃんと喚く赤髪黒瞳のバリアルタの青年――イヅキ=シーヴァリップに、シトリアはやれやれと溜め息を吐いた。イヅキの身体は光属性の魔術で丁寧に拘束されており指一本たりとも動かせないような状況なのだが、如何せん口がうるさいのがこの青年である。
 元より、イヅキが望んで抑止庁の職員となった訳ではないことをシトリアは知っている。所謂『懲役組』のこの青年は、違法薬物売買組織の末端構成員だった。身の安全と引き換えに情報を抑止庁へと打ったものの――そしてその情報のお陰で彼が所属していた違法薬物売買組織は壊滅することとなったのだが――だからと言って抑止庁で働くことを了承した覚えはない、というのが本人の言い分だ。問題行動を繰り返すのも、自分の欲望半分クビになりたい気持ち半分、といったところだろう。クビになるようなことになれば今度は即刻逮捕か、元組織の人間に酷い目に遭わされるであろうことは想像に難くないのだが、この青年はその辺りの都合の悪いことは考えていないらしい。
 ただの末端構成員でありながらもかなり上層部の情報まで持っていた、その情報収集能力の高さは捨て難い。職員となった現在でも遊戯場で培った人脈からかなりの情報を拾ってくるし、それが捜査に役立っていることも多い。故にこちらとしては、是非ともしっかりとイヅキを育てていきたいところなのだが。

「たいちょおの鬼ィ……そもそもちょーっと遊びに行っただけじゃあん……」
「世間一般では半日はちょっととは言わないし、そもそも職務時間中に遊ぶもんじゃないね。何回目だい?」
「俺にとってはぁ、遊ぶのが仕事? みたいな?」
「なるほど、分かった『泡影ディヴィラグ』、お灸の時間だ」
「あっ、っ!?」

 唐突にイヅキの声がぷつんと途切れる。ぱくぱくと開く口は音を為さない。それを見ながら、シトリアは首に掛けている懐中時計に手を当ててにこりと微笑んだ。

「本当は疲れるし面倒だしやりたかないんだが、お前さんは言っても聞かないから仕方がないね。この間一等のお馬鹿たちが揃って一日で音を上げたけれど、さて、お前さんはいつまで持つかな?」