One Last P"l/r"aying

24

 そして夜――律は恭と2人、玲が住んでいたマンションへと足を運んでいた。
 誕生日に来た頃と比べると、場所の雰囲気ががらっと変わっているのが見受けられる。雰囲気というよりは、『空気』か。あちらこちらで様々な術式が展開しているのが見て取れる。琴葉の言っていた『足止め』もこの中に含まれているのだろう。律では真似できそうもない細やかで強力な術式が見えて、果たして琴葉の知り合いとは何者なのだろうと想像してしまう。
 律の隣、黙々と入念に準備運動をしている恭に目を向ける。その表情はいつになく真剣だ。

「……恭くん本当に一緒に行く? 大丈夫?」
「え、ここまで来てそれ聞くんすか!? 行くったら行くっすよ」
「正直相手俺より強いよ、確実に」
「そんなことは覚悟してるっすよー。まあどんだけ強くても引き摺られたりっちゃんさんより怖いモンはねーって思ってますし、俺」
「……ごめん……」

 思わず反射的に謝罪を口にする律に、ふふ、と恭が笑う。心配せずとも恭はきちんと理解している筈だ。律を『彼方』に引き摺った相手と、今から戦うのだと。そして、玲とも。
 生きるか死ぬかという事態になる覚悟は決めておかなければならない。4年前は、死ぬつもりで挑んだ戦いだった。今回は生きて帰らなければならない――恭を、死なせるわけにはいかない。
 それにこれは、仇討ちだけではない。れっきとした『茅嶋』の人間として受託した『仕事』だ。この仕事に恭を連れて行くことの意味を、恭は恐らく全く理解していないだろうが、そもそも正式な依頼として動いていることを教えていないが、今はそれを話す必要はないだろう。
 ちらりと左手に視線を落とす。鈍く光る銀の指輪。それだけで心が落ち着くのは、宗一郎に対する信頼感か。大丈夫だ、と思える。惑わされはしないと、誓える。

「……ね、りっちゃんさん」
「んー?」
「これ終わったら、改めてりっちゃんさんのお誕生日、しましょうね」
「は?」

 突拍子もない会話に、律は目を瞬かせる。にい、と笑う恭は冗談を言っている風には見えない。本気で、言っている。
 恭が買ってきたケーキは、ぐちゃぐちゃにしてしまった。誕生日らしいことは、確かに何もしていない。祝う、という話は有耶無耶になってしまったままだ。

「俺あそこのケーキ食うのすっげー楽しみにしてたんすよー」
「……美味しいの?」
「いや食ったことないっす」
「おい」
「でもぶんちゃんがめっちゃ調べてくれたとこだし、すっげー美味しそうだったから絶対美味いはずなんすよねー。だから誕生日しましょ」
「ケーキ食べたいだけじゃないのそれ。別に誕生日じゃなくても」
「りっちゃんさんの誕生日をお祝いする、っていう約束」

 真剣に。本当に真剣な表情で、恭は言い切った。
 それは生きて帰る、というよりは遥かに言葉が軽くて――けれど確かな、約束。

「……分かった分かった」
「お。言ったっすね」
「その代わりケーキ代は俺が持ちます」
「えーそれじゃ誕生日じゃないじゃないっすか!」
「恭くんが折角買ってきてくれたケーキ駄目にしちゃったの俺だし。その責任は取るよ」
「……じゃー割り勘!」
「駄目。高校生は黙って奢られろ」
「……うぐ。りっちゃんさん変なトコ頑固っすよねえ」
「常日頃頑固な恭くんに言われたくないけどねー」

 軽口を叩いて、律は笑う。帰ってくるべき日常が、ちゃんとある。それは『それだけ』で、力になる。
 迷わない。止まらない。進める。

「……んじゃ、行こうか」
「うす!」

 揃ってマンションに入って、エレベーターで上階に上がり、玲の部屋の前へと移動する。インターホンを押すことなく、律は扉に手を掛けた。軽く『リズム』を刻んで、口笛ひとつ。あっさりと開いた鍵に、深呼吸を一つ。

「……開けるよ」
「うす」

 律の後ろ、恭がこくり、と頷くのを確認して扉を開ける。

「っ!?」
「うお……っ!?」

 瞬間、襲ってきた感覚は『飲み込まれる』というのが正しいだろう。扉の先に広がっていたのは、『彼岸』の領域。律が知っている、以前訪れた時の玲――否、奈南美が作り出した部屋ではない。足を踏み入れるまでもなく、瞬きする間に自分の居場所が変わっていくのが分かる。
 律の眼前に広がっているのは、あの『赤い部屋』。しかしその様相は、律が4年前戦った時のものではない。ぐちゃぐちゃに壊れた、部屋。壁が崩れ、天井が崩落した状態の、廃墟のような部屋だった。

「……恭くん、だいじょう……、」

 無事を確認しようと振り返れば、そこに恭の姿はなかった。分断されたのか、とすぐに理解する。まずいなとは思うものの、こうなってからでは打つ手はない。
 恭なら大丈夫だと、信じるしかない。頼りないが、それでもやる時はやる。信じることしか出来ないのだから、心配は後回しだ。助けに行けるわけではないこの状況ではどうすることも出来ないし、律はまず眼前に現れた敵と戦わなければならない。
 何の前触れもなくふらりと現れた、玲の姿をした真っ赤な女。

「……こんばんは、玲先輩」

 声を掛けたところで、彼女は何も言わない。ただ無表情に律を見るだけだ。震えそうになる手を押さえて、ゆっくりと息を吐き出す。

「……恭くんに頼まれました。貴女を助けて欲しい、……逝かせてやって欲しいって」

 言葉が届いているのかどうかは分からない。彼女の手が刃へと変質していくのが見て取れる。刃物など彼女は武器にしていない。これは『赤い部屋』として蓄積されてきた『武器』だ。恐らく今度は容赦などない。奈南美は律を『彼方』に引き摺ることを目的としていたが、それが破られた今となっては違う筈だ。恐らくだが、律を殺せと、そう命じられているだろう。
 従うモノである『シモベ』となった『彼岸』は基本的に『主人』には逆らえない。そして律は知っている、彼女はそんな状況を望むようなタイプの人間ではない。誰かに従うよりは、自分で引っ張っていくタイプの人間だった。だから、助ける。――在るべきところへ、送り届ける。
 数瞬の静寂。首を薙ぐかのように動く玲の右腕、展開した防御壁でそれを受け止めて、律の準備は完了する。

「【汝、雷を司りし者、稲妻を従えし者。戦車を駆りて戦いし汝の力、卑小たる我に力を貸し与え給え】」

 ばちり、と右腕を取り巻く稲妻の紋様はいつもと少し様相が違う。総一郎の指輪の影響だろう。いつもよりも強い力が宿ったような、そんな不思議な感覚がある。
 取り出した銃の銃口は、迷いなく彼女へと向けた。無表情の玲が刃と化した右腕を振るう、律はそれを次々に防御壁を展開することで阻んでいく。
 ――4年も経っているのだ。『赤い部屋』の主となった結果としてずっと時間が止まってしまったままの彼女と、進めないままでも研鑽を積んできた律とでは。本当はもう勝負になどならないことを、律は知っている。
 放った雷弾は、彼女の右肩を直撃した。肩から腕が千切れて、ぼとりと落ちて、そして溶けて消える。それでも彼女は無表情のままだ。もう生きてはいないから、痛みを感じることはない。

「……ね、玲先輩」

 右腕を再生して、次の刃を生み出したその赤い手を眺めながら。言葉が通じないと分かっていて、それでも律は口を開く。
 進まなければならない。こんなところで余計な怪我を負うわけにもいかない。死ぬつもりもなければ、二度も『彼方』に引き摺られるつもりも、もうない。

「俺、玲先輩のことが好きでした」

 ぽつりと呟くように告げた言葉は、もう届くことのない告白。生成された刃は再び容赦なく襲い掛かってきて、しかし律が展開している防御壁に阻まれて届くことはない。それに焦れたのだろう、部屋がぐらりと揺らぐ。攻撃が届かないとなれば、大技で勝負をかけようとするのは定石だ。
 4年前の律では防ぐことが出来なかった。しかし、今ならば。

「多分俺は今でも玲先輩のことが好きなんだと思います。全く……馬鹿げた話ですよね」

 今更4年前をやり直すことは、出来ないから。
 部屋に、嫌な感じの気が充満していく。時間はもうあまりないだろう。律は銃を下ろして、代わりに小さく『リズム』を刻む。
 銃。この4年間ずっと、相棒として使ってきた武器。そして間違いなくこの先も使っていくことになるこの武器は、元々玲のものだ。――玲の代わりに、ずっと律の傍に在るもの。

「……俺はこれからもずっと、玲先輩と一緒に戦っていきます」

 部屋が揺れる。あちこちでぶわりと浮き出す赤色、それが生み出すのは無数の刃。今更こんなもの、何も怖くはない。360度全方位から攻撃されたところで、怯むことなど何もない。

「好きな女一人守れない情けない男でごめんなさい。……さようなら」

 彼女を中心に、律が『リズム』を刻んだことによって呼び出した魔法陣が浮かび上がる。無数の赤色が律に襲い掛かってくるその瞬間、魔法陣が発光して。

「……つまらない見世物でしたこと」

 廃墟のような『赤い部屋』が姿を消して、現れたのは一週間前にも見た光景。小物一つ違わず玲の部屋を装った、奈南美の部屋。
 ベッドに腰掛けて、膝に肘を置いて頬杖をついて、奈南美は心底つまらなさそうに律を眺めている。律は先程までと何ら変わらない臨戦態勢のままだ。躊躇うことなく銃口を向ければ、奈南美は笑う。可笑しそうに。

「4年も引き摺って、ちょっと揺さぶられて簡単に引き摺られたっていうのに。最後は呆気無いものですね」
「……4年も引き摺ってきたからだよ。いい加減終わらせないとね」

 二度と同じことはしない。もう一度惑わされて引き摺られるつもりもない。進まなければならないのだから。
 周囲の人間をこれだけそれでもまだ4年前に留まると言える程、馬鹿にはなれない。あの『赤い部屋』の玲を倒したところで、何も終わらない。これからも引き摺り続ける。律の中で一生枷になり続ける現実だ。それでも前に進めるのだと――律を連れて前に進んでくれる人たちが、居る。

「……新藤さんのお陰で、スッキリしたよ」
「それはそれは。残念なお知らせです。私達側になってみた気分は如何でした? 茅嶋先輩」
「サイアク。二度とお断りだね」
「言ってくれるじゃあないですか。……流石は雪乃さんのご子息、鬱陶しいところまで母親そっくりで虫唾が走ります」

 つまらない、と溜め息を吐いて。そして真剣な表情になった奈南美の目が、律を射抜く。瞬間、体が凍り付きそうなほどにぞくりとした。そこにあるのは確かな憎悪だ。背筋に走る寒気は、感じたことがない程に強い殺気。
 奈南美が指を鳴らした瞬間、空間が裂けるようにして『彼岸』の者たちが姿を現した。同時に部屋が形を失って、世界から切り離されていくのを感じる。現れたのは大蛇と番犬――奈南美の『シモベ』だろう。『赤い部屋』のような存在よりも遥かに格上の『彼岸』、『カミ』と呼ばれるもの。律が契約して力を借りている雷神と同じような、奈南美がその力を借りている、相手。

「さあ行きましょうか――かの憎き女の息子を殺して、あの女も殺してあげましょう」

 奈南美は笑う。凄惨に、憎悪に歪んだ笑みを見せる。
 それは4年前には見ることの出来なかった、『魔女』の本気の姿だった。