One Last P"l/r"aying

23

 恭に退院した、という連絡は入れておいて、律は久し振りに実家に戻っていた。庇護下から外れているとはいえ、何かあれば時々実家には帰ってきている。ここで修行の為に文献を読み漁っていたこともあれば、雪乃から仕事の手伝いを依頼されることもあったし、それにそもそも絶縁されている訳でもないから、帰らない理由は特にない。
 しかし今日、足を踏み入れる時に緊張してしまったのは、やはり『引き摺られた』という現実に対する罪悪感のせいなのだろう。深呼吸して自分を落ち着かせてから、一歩家の中へと足を踏み入れる。

「ただいまー」
「おかえりなさいっ、律兄様!」
「ただいま、桜ちゃん。……あれ? 此処で待ってたの?」
「さっき雪乃様から律兄様が帰ってくるってお伺いして、早くお会いしたくて待ってました」

 玄関から入るなり、ぱたぱたと桜が律に駆け寄ってきた。仕事の関係で椿と桜の双子を助けてから、桜は律によく懐いてくれている。椿の方は遠慮もあるようだが、とはいえだからといって距離が遠いわけでもない。新しい家族の形に、少しずつ馴染んでくれているのが有り難い。

「今日は椿くんは?」
「椿兄様は今日はお仕事のお勉強に行かれています」
「そっか。お父様もまだ中学生の子に何教えてんだか」
「でも椿兄様、毎日楽しそうにしてらっしゃいます」
「ホントに?それならいいんだけど」

 椿は元々引き取る前にいた元の家を継ぐ予定だったこともあり、幼少時から帝王学を叩き込まれている。加えて呑み込みの早いところがあり、父が『跡継ぎができた』と嬉しそうにしていたのはまだ記憶に新しい。実の息子より一緒にいるんじゃないか、と律は苦笑う。それでも申し訳ないと思うところもあったのは事実で、父が喜んでいるなら何よりだ――そこに至るまでの過程はさておき。
 桜と2人、雪乃が日本に戻ってきた時の主な居室としている離れへと足を向ける。その道中、あ、と思い出したように桜が口を開いた。

「律兄様、この間お誕生日でしたよね! おめでとうございます」
「あ、ありがと。覚えててくれたんだね」
「勿論です! 来年こそは是非当日にお祝いさせて下さいっ。私、ケーキの作り方覚えたんです!」
「ほんと?すごいな。ありがとう、楽しみにしてるね」

 ――実際問題、今年の誕生日はそれどころではなかったが。桜にはその話はしていない、ということだろう。恐らくは本当に必要最低限に留められている。下手な情報が漏れ出すのは、なるべく避けるべきだ。
 離れの入り口の前で桜と別れた直後、ばさりと羽撃く音がした。視線を上げれば、2羽の漆黒の烏。フギンとムニン――雪乃の『シモベ』であるその2羽は、離れの屋根に止まるとじっと律を見下ろしている。大丈夫、と言い聞かせて、深呼吸。

「失礼します」
「どうぞ」

 中から聞こえた声は、雪乃のもの。覚悟を決めて一歩足を踏み入れた――その瞬間。

「ッ!」
「お。避けたか」
「……あの、直撃したら、死んでます、けど」
「半分くらい殺すつもりだったからね」

 律の目の前、壁に突き刺さっているのは魔力で練られた一本の剣。聖剣『グラム』の名を冠した魔力剣は、雪乃が普段使っている得物だ。淡く輝く美しい白銀の刃が、律の顔を映している。
 剣を壁から引き抜いた雪乃は、笑う。心底――呆れたように。

「引き摺られたって?馬鹿息子が」
「言い返す言葉もありませんし言い訳するつもりもありません。勘当されても仕方ないと思っています」
「しないよそんなこと。……引き摺られたことでお前も得るものがあっただろう? 自分を見つめ直すいいきっかけにもなったろうし、無事に帰ってきたのであればそれで良し、だ。私に殺される前に戻ってこれて良かったな」
「……申し訳ありませんでした」
「気にするな。……それにお前も聞いたんだろ? 奈南美が私と敵対している理由を」
「……はい。新藤 奈南美は、茅嶋 雪乃の『元』相棒だと」

 だから律は、雪乃に会いに来たのだ。
 ふう、と溜め息を吐いた雪乃は、ソファに腰掛ける。どうぞ、と勧められて、律も雪乃の正面にあるソファへと腰を下ろした。
 琴葉の調査内容は、新藤 奈南美の過去に関することだった。かつて代々『ヒロイン』の家系の人間であった奈南美が『魔女』に堕ちたのは、今から30年近く前のこと。その頃奈南美は、雪乃の相棒を務めていたこと。順調に活動していた二人が分かたれることになったのは。

「――『院』。俺も名前くらいは聞いたことありますけど、結局何なんですか」
「何、と聞かれると難しいね。魔術院だとか魔術研究所だとか魔術師組合とか色々な名前で呼ばれるけれど、まあ大体『院』と呼ばれてる。『ロード』を中心とした『ウィザード』たちの魔術に関する事象の研究所だと思えば大体合ってる。認められた『ウィザード』にのみ所属の権利が与えられる、といったところかな」
「……うちは所属してないですよね、それ」
「そう。ちょくちょく仕事は受けてやってるけど、所属するっていうのは私が断り続けてるからね。――だから30年前、奈南美は『院』の策略により『彼方』に引き摺られてしまったんだよ」
「……お母様を『院』に所属させるために?」
「そう。奈南美を助けたければ、ってね。私は断った、自力で奈南美を取り戻せると思ってたから。……結局、奈南美は私が思っていたより酷い状態まで引き摺られていて、助けることは叶わないまま今に至るけど」

 そう言って、雪乃は目を伏せた。
 奈南美が律を殺そうと、或いは『彼方』に引き摺ってしまおうと動いたのは、雪乃に対する復讐のようなものなのだろう。雪乃のせいで。その気持ちが彼女の中にあるのは間違いない。律に対して動くことで雪乃に復讐しようとしたものの、結局そちらは失敗に終わった。――今回は恐らく、律を『彼方』に引き摺ることで、雪乃を揺さぶる方を優先したのだろう。
 ようやっと、律の中で納得がいった。ずっと、どうして律が狙われていたのか、どうして奈南美は雪乃のことを知っているのか、分からないままだった。律ではほとんど何の情報も手に入れることが出来なかったのだ――恐らくそれも、奈南美の手の内だったから、ということなのだろうが。

「……そう言えば何でお母様は俺がそれを聞いたことを知ってるんですか」
「私に知らないことはない」
「お母様がそれを言うと冗談じゃなくなるのでやめて頂けますか」

 思わず真顔で言ったものの、雪乃はふふん、と笑っただけだった。これだからこの人は、と呆れたくもなる。世界でも屈指の『ウィザード』と呼び声高い雪乃がこんなことを言うと、本当なのではないかと思ってしまうのが怖いところだ。

「お前だって私が日本に帰ってきてること知ってただろ、律」
「……あれは。お母様の元に依頼が届いている筈だと聞いたので」
「へえ。誰に」
「今回お世話になった『ヒーラー』の方に」
「そう。……リノの例の子かな」
「……?」
「ああ、こっちの話だ」

 依頼が届いているから雪乃が日本に帰ってきている筈だ、と言ったのは琴葉だった。それは無視する依頼じゃない、とも言っていた。そこまでお膳立てしてくれたことに感謝しかない。見返りに何を求められても応じるしかないだろう、とは考えている。

「私と奈南美のことで、お前が何かを思う必要はないよ、律。寧ろお前が私を恨んでも仕方ないと思ってる。彼女を助けられなかったばかりに、お前を辛い目に遭わせてしまって」
「……お母様」
「意地を張らずに『院』に所属していればこんなことにはならなかったかもしれない。それでも研究の為なら人を人とも思わない組織に所属するなんて、私にはまっぴらごめんだったんだ。……大事な相棒を人質に取られて、そんな汚いことする奴らに従属なんてやっぱり出来なくて、奈南美には私が見捨てたと思われても仕方ないんだよ」

 ――かつて2人は、どんな形で活動していたのだろうか。
 今の奈南美しか知らない律には、想像がつかない。だが、雪乃が今一緒に仕事をしている相手をどれだけ大事にしているかを、律は知っている。2人のことを今あれこれと聞くのは、きっとお互いに良くない――決意を鈍らせてしまう。聞いたところで、律自身にどうにかできる問題ではない。まずは奈南美を捕らえなければ、この先には何も進まない。過去は、変わらない。
 今すべきことは、終わらせることだ。終わらせて、前に進ませること。

「お母様に来たその依頼を、俺に受けさせて下さい」
「……お前じゃまだ力不足だよ。分かっているだろう?」
「分かってます、でも30年以上お母様が手こずってて何も出来てないなら、俺の方がまだ可能性あるかも」
「憎まれ口を叩くねこの息子は……。……モニカでも連れていくか?」
「そりゃあモニカさんがいれば百人力ですけど、彼女はお母様の相棒でしょう」

 出された名前に、律は苦笑する。モニカ――モニカ=カルネヴァーレ。母の現在の相棒であるその『エクソシスト』のシスターのことを、律はよく知っている。助けて貰えるのであればそんなに心強いことはない、――けれど。
 これから仕事として動くのであれば、律が共に戦う相手は彼女ではない。

「……いい相棒を見つけたのならそのうち紹介しなさい、律」
「まだ決めてないですよ」
「まあいい。じゃあこの依頼はお前に任せるよ、馬鹿息子。……依頼内容は『魔女』新藤 奈南美の無力化、生死は問わない。お前が失敗したら、私が依頼を引き継ぐ。いいね」
「承知いたしました」
「……武運を祈ってるよ」

 ぐ、と唇を噛み締めて、けれどその言葉を律に告げた雪乃の心中を思う。想像など、つかない。自分のせいで『彼方』に堕ちた元相棒、30年以上解決できていなかった問題。
 4年前に律が巻き込まれて――そして律は玲を亡くして、今回は律自身が引き摺られて。それでも律が行こうとするのはとんでもない我儘だということくらいは分かっている。雪乃自身、自分の手で決着をつけたいと思っている筈だ。それでも律は、このためだけにこの4年間を過ごしてきた。
 だから。――決着をつけるなら、この手で。


 離れから出て、次に向かった先は温室だった。律が予想していた通り、そこには千里の姿。律の姿を見て、驚いたように瞬いて、けれど優しく笑みを浮かべてくれる。どれだけ心配を掛けてしまったのだろうかと考えると、胸が痛い。

「おかえり、律。元気そうで何よりだ」
「……お祖母様、あの、本当に」
「おかえり」
「……ただいま」

 律の言葉を遮る千里に、謝罪をさせるつもりなど全くないようだった。笑顔に押し切られてしまい、律は口を噤む。どちらにしろ、何度謝罪しても謝り足りない。千里が恭に宗一郎の指輪を託していなければ、今頃律は此処には立っていないのだ。
 ごそり、とポケットを漁って、律は指輪を取り出す。意識を取り戻した後、恭から渡されたものだ。これを投げたら解決した、などと言われて呆れるべきか怒るべきか悩んでしまったものの、指輪を投げるなどという『予想外』が出来る恭だからこその結果でもあるので、結局何も言わなかった。

「……お祖母様。この指輪、もう少し借りて大丈夫?」
「構わないよ。それにそもそもその指輪はお前が家を継ぐ頃に渡そうと思っていたんだ。……そのまま持っていなさい」
「いいの?」
「あの人は必ずお前を守ってくれる。だから、持っていてくれた方が私も安心出来る」

 夢うつつの出来事ではあったが、宗一郎は確かに律を引き上げた。――こんな形でまた会うことになったとは、と思う。次こそ本当にちゃんとした形で再会して、出来れば礼を伝えたい。引き戻してくれたことを、きちんと居るべき場所に戻してくれたことを。

「椿が随分怒っていたよ。顔を合わせたら謝っておくことだね」
「ああ……椿くんには言ったんだ」
「あの子は賢い子だからね。恭くんが来ていたことと私の様子を見て随分と色々察して言い当ててきたよ」

 末恐ろしい子だね、と。嬉しそうに言う千里に、律は苦笑する。末恐ろしいものほど先を楽しみにしてしまうのは、血筋だろうか。 

「そういえば律」
「ん?」
「恭くんはとてもいい子だね」
「……うん、俺もそう思う」

 悠時の差し金とはいえ、わざわざ茅嶋家を訪れて。そして千里と話して、指輪を託されて。仮にも宗一郎を宿した指輪だ、千里がそう簡単に他人に預けるとは思えない。恭から何を聞いたのかは分からないが、千里が恭のことを気に入ったのだろうということは分かる。
 恭は人に気に入られる才能を持っている、と律は思っている。天性のもので、そうそう持てるものでもない。『此方』も『彼方』も『彼岸』も何も関係なく、誰とでも仲良くなれる部分がある。それが最もつけこみやすい部分ではあるが、何よりも脅威になる部分だ。
 危なっかしい。だからこそ、ちゃんと見ておくべきだ。遠ざけたところで、何も解決しない。

「いい縁だと、私は思うよ」
「……そうかな」
「恭くんはお前にないものをたくさん持っているからね。素直でいい子だ」
「俺が素直じゃないみたいな言い方をされている」
「お前はすぐに隠し事をしたり嘘を吐く癖があるから、ちょっとは見習いなさい」
「……ハイ」

 その言葉には、反論出来ない。確かにその通りだと思う。もっと人に頼ってもいいのだろう。何でも一人でどうにかしようとしてしまうから、引き摺られるなんてことになってしまっているのだから。頼る先が恭というのが、かなり不安ではあるが。

「お祖母様」
「何だい?」
「全部終わったら、俺、ちゃんとこの家を継ぐ準備をしようと思う」
「……そうかい」
「まあ俺の実力じゃあまだまだ本当に継ぐのは無理だけど」
「構わないよ。実力というものは徐々に身につけていくものだ。律だって随分強くなったじゃないか。……きっとそのうち雪乃にだって追いつくよ」
「いやそれはさすがに無理……」

 思い切り首を横に振る律を見ながら、それでも千里は嬉しそうに笑った。