One Last P"l/r"aying

20

 恭が掴んでいたのは律の腕ではなく、真っ黒な顔のない人形の手首だった。

「……え」
「ほんっとうざいな……、ねえ殺したら言うこと聞いてくれんの?」

 人形の後ろで。耳に重い程の低い音のピアノを弾きながら、律がぼそりと呟く。いつの間にこの人形が現れたのか分からない。ピアノで使っていた黒い魔法陣の魔術から、あっという間に切り替えたということか。固まってしまった恭を見逃すほど、律は甘くない。動いた右手、その瞬間に銃が握られ、雷弾が放たれる。

「がっ……!?」

 盛大に吹き飛ばされる。見えない壁で強かに背中を打つ――ベースが律の部屋であることを考えれば、このピアノの周りの空間の大きさもその程度なのかもしれない。突然のことに渚はこちらに反応できていない、『変身』状態のお陰で多少は軽減できているとはいえ、ダメージはじわじわと恭を蝕んでいく。

「あのさあ、せっかく死なずに済んだんじゃないの。そんっなに俺に殺されるのがお望みなわけ?何でそんなめんどくさいの……」
「……俺より馬鹿すか、アンタ」
「は?」

 銃口が向けられている。身体の痛みはあるが、気にしていられない。無理矢理身体を動かして、右手の拳を握りしめて、深呼吸。ピアノから離れて恭の方へと歩いてきた律の足元を狙って足払いをかけるものの、やはり突然黒い人形が現れて恭の攻撃を受け止めてしまう。
 恐らく原理としては渚の『式神』と同じものなのだろう。『ネクロマンシー』の代替魔術といったところだろうか。盾として律を守るそれのせいで、律には攻撃が届かないということだ。
 問題が増えた、と恭は内心舌打ちする。この黒い人形をどうにかしないと、律に手が届かないことは明白だ。しかしどうしたらいいかなんて思いつかない――となると恭に出来ることはひたすら攻撃を続ける、それだけだ。偶然とはいえ律は今ピアノから離れている。ピアノを弾いていない間は恐らくだが黒い魔法陣が出てくることはないだろう。今の状況であれば、渚に女の対処に集中してもらえる。とはいえ、今の恭には渚を気にする余裕がない。律から目を離した瞬間に殺されかねない。渚なら大丈夫だと、そう信じるしかない。
 体勢を立て直して、渾身の力で放つ右ストレート。それを受け止めた黒い人形が消え失せて、しかし受け止められてしまった分そこで威力を失って、律には軽々避けられてしまう。

「馬鹿はどっちっすか。俺は馬鹿っすよ、分かってます。でもりっちゃんさんはもっと馬鹿っすよ」
「……何いきなり」
「アレが姉貴だって、りっちゃんさんホントに思ってんすか?」
「……玲先輩?」
「あんな、俺や松崎先輩を殺そうとするようなヤツが、俺の姉貴なワケないじゃないっすか」
「……何言ってんのかさっぱり分かんないんだけど」

 律は苛立ちを隠さず、その表情がしかめられる。その表情を見た瞬間に、駄目だ、と理解する。引き摺られている、或いは洗脳されている、今の状態では。
 受け入れてしまっているのは、あの女が玲の姿をしているから。帰ってきたのだと思えたら、救われるような気持ちになったのだろうか。何の解決にもなっていないのに。

「……ほんっと、馬鹿っすね」
「うるさいな……やっぱ早く死んで」
「死にません。……俺が死んだらアンタ泣くだろ!」

 死んでなるものか。絶対に生き抜く、恭はそう決めている。相手が誰であろうと、絶対に勝ち目のない相手だろうと、死んでやるつもりはない。
 再び向けられた銃口を見た瞬間、手を伸ばして恭は律の銃を掴んだ。今度は黒い人形は邪魔してこない、攻撃ではないからだろう。『リズム』を刻んでいる様子は見えないので、恐らくまだ術式は展開されてない。本当にめんどくさそうな表情で恭を見て、律の指が動き始める――終われば、撃たれる。意識を集中させて、『リズム』を刻むために一瞬指が離れたその瞬間、恭は律の手を捻って銃を叩き落として。
 これで、と思った次の瞬間。じんわりと、腹に嫌な感触。

「……あ……?」
「銃を奪えば何とかなるって思ってるのが丸分かり過ぎるんだよ。ホント馬鹿って単純で分かりやすいよね」

 今、一体何が起きたのか。
 自分の腹に視線を落とせば、そこに何かが押し付けられていた。身体ががくりと力を失って、恭はその場に膝をつく。『変身』状態の防御力など意に介さない攻撃力。渚はこちらの手伝いをするほど余裕はないだろう、当然『式神』の助けも間に合わない。痛む腹を抑える、指の隙間から漏れ出ているのは真っ赤な血。視線を上げれば、律の左手が目に入る。
 その左手に握られているのは、真っ赤な銃だった。
 ――何故銃が2つあるのか。いや、悠時の話だと律が使っている銃は過去に玲が使っていたもので、つまりは玲も銃を使うという事だ。つまりあの女は玲の姿だけではなく、玲の銃まで模倣しているのだろう。そしてその銃を律が持っていた、ということか。

「……っぐ、いっ、てぇ……」
「ああ、しまった。心臓撃ち抜いてあげればよかったね。そしたら一発で死ねたのに」
「……く、そ」
「まあ時間の問題か。さっさと死んで楽になれば?」
「……死んで、たまる、か……」

 死にたくない。死ぬわけにはいかない。そうは思っても、どうすればいいのか分からない。動けない、このままでは死んでしまうことくらいは分かっている。渚の手が空いたとしても、『ヒーロー』と『陰陽師』の組み合わせでは回復手段はない。もう一人くらい協力要請するべきだった、と今頃考えたところでどうにもならない。

「……馬鹿、じゃ、ないんすか……」
「何、その状態でまだ喋れんの?うざいな」
「……アンタ、何の、ために……そんな、強く、なったんすか……」
「……は?」
「姉貴の、仇、取る、ためじゃないんすか……こんな、とこで……俺、殺す、ため、なんすか?」

 律が強いことは、最初から分かっていた。恭では敵わない。しかしそれは、今まで律が必死に努力してきた結果としてあるものだ。
 こんな風に、恭を相手にするためではない。このまま引き摺られている状態では奈南美と戦うこともないだろう――なら律は、何の為に強くなったのだろう。
 悔しい。律が引き摺られてしまっていることが。その力をこんな風に使ってしまうことが。それがどうしようもなく、悔しくて。

「……何泣いてんの」

 冷め切った声。何も感じてない声が降ってくる。
 どうしてこんなことになってしまうまで一人で思い詰めて、一人で苦しんで生きてきたのだろう。それがどうしても恭には許せない。許してはいけない。絶対に律に謝らせなければならない、何なら一発くらい殴らせてほしい。だから。
 ――死んでなど、やるものか。
 勝負は一度きり、イチかバチか。律のことを弱らせることなど、全くできてはいない。隙などひとつもない。それでも恭に頼れるものは、もう一つ残っている。
 律を睨み上げる。冷たい目と視線が合って、そして変わらず恭に向けられている赤い銃口。その指先が『リズム』を刻むのは時間の問題だろう。もしかしたらもう発動準備は終わっているかもしれない。
 血が止まらない。腹部に当てた手を退けてどうなっているのか確認するのは怖い。何より見て自覚してしまったら、恐らくその時点で倒れるだろう。頭はふらふらしている。自分の集中力を信じるしかない。
 一回勝負。これが駄目なら、恭は律に殺される。

「……たすけて、」
「……?今更命乞い?遅くない?」
「りっちゃんさんを……たすけて、ください」

 ポケットの中に手を突っ込んだ瞬間、律の表情が変わった。引かれる引き金、攻撃は防げない――と思ったその時、小さな狐が飛び出して代わりに攻撃を受け止めてくれる。渚がこちらの状況を察してくれたことに、流石だな、と笑って。
 いける。
 ポケットの中から取り出したのは取り出したのは、指輪。千里に預かった、宗一郎の。恭はそれを思い切り――律に、投げつけた。


「……がわ、柳川、しっかりしろ」
「……ん……、」
「大丈夫か、頼むから意識保ってろ。もうすぐ先生来るから」

 渚の声が聞こえるものの、頭はぼんやりとしている。視界が暗くなっていて何も見えない。恐らくは傍にいるはずの渚の姿さえ視認できない。

「せん、ぱ……、だいじょ、うぶっすか……」
「俺の心配より自分のこと心配しろ。先生に貸してもらったやつで多少応急処置したけど、専門じゃねえから効いてんだか分かんねえんだよこっちは」
「……おれ、いま」
「腹に穴あいてたんだよ喋んな」
「やば……」

 深く呼吸しようとするとひどい痛みに襲われる。目を閉じれば意識がなくなってしまいそうだ。渚のことは気に掛かるが、何やら応急処置をしてくれているならきっと無事なのだろう。

「……り、っちゃんさ、ん」
「茅嶋さんなら今倒れてる。俺が相手してた奴は茅嶋さん倒れたら消えた。倒せてはない」
「そか……、……たすけ、れた?」
「大丈夫」
「よかった……」

 上手くいく保証などなかった。指輪を投げたところで何かが起きる可能性があるかどうかも分からなかった。けれどきっと律を助けに来てくれたのだろう、と恭は思う。力を貸してくれた。
 さすがにそこまでは律も予想していなかっただろう。指輪を持っているかどうかを勘付いていたかは分からないが、どちらにしろあんな風に投げつけられるとは思っていなかったはずだ。お陰でと言うべきか、弱っていなくても多少隙はできたのだろう。指輪の力が発動しているのであれば、きっともう律は大丈夫だ。

「……目ェ覚めたら、ぶん殴る……」
「それはもう好きにしろ」
「へへ……」
「……よく頑張ったな」

 よしよし、と頭を撫でられるような感覚に、思わず泣きそうになる。渚を頼ってよかった。渚の前で同じことを繰り返さずに済んで、よかった。
 玄関の扉が開く音がする。懐かしい声が聞こえたのを最後に、恭の意識は落ちていった。