One Last P"l/r"aying

19

「あ! 悠時さん!」
「よ。無事におばあちゃんに会えたんだな」
「……家でかすぎてテンパリ過ぎて悠時さんが連絡してくれてなかったら会えてなかったっすよ……」
「だろうと思ったんだよ」

 茅嶋家を出る頃には夕方を過ぎていて、悠時が迎えに来てくれていた。苦笑しながら悠時は恭にヘルメットを放り投げる。受け取ってバイクの後ろに跨りながら、バイクいいなあ、とぼんやり恭が思う。高校を卒業したら免許を取るのもいいかもしれない――今の状況が無事に片付けば、だが。

「悠時さん、今日は芹ちゃんは?」
「んー?先家帰ってる。恭のこと心配してたぞ、無理矢理にでもついてった方がいいかなって悩んでた」
「えーそれ悠時さん絶対止めて……芹ちゃんに怪我させんの俺やだ……」
「ん、了解。……おめーも出来るだけ気を付けるんだぞ」
「うす。今日はこの後腹ごしらえしたら覚悟決めてりっちゃんさんとこ行こうと思ってるんす」
「お。もう大丈夫なのか?」
「大丈夫っす。ぶんちゃんがりっちゃんさんのこと見ててくれてるっすけど、どうも家から出てないみたいだし、ずっとピアノ弾いてるみたいだし。動いちゃう前に片付けないと」
「……あのさ、そのさ、『ぶんちゃん』って何?」
「俺の頼れる相棒!」

 ネットが繋がっていればどこにでも行ける『分体』は情報収集に動いてくれることが多いが、今回の場合は律のスマートフォンに潜入してもらっている。電池が切れない限りは律の様子を確認できるというのは大きい。部屋にいるかいないかが分かるだけでも、恭にとっては頼もしいことだった。

「……恭」
「何すか?」
「りっちゃんのこと、助けられそうか?」
「……分かんないっす。でも、助ける。絶対」

 恭が律に勝てる可能性はないに等しい――ということは、恭は重々承知しているつもりだ。それでも、助けなければならないと思う。律が玲のことに囚われ続けた結果として今があるのなら、尚更。
 律が気に病む必要はないのだと。玲の死に関して、律に責任はないのだと。そう伝えなければならない。きっとその為にずっと律と一緒に過ごしてきたのだと、今はそう思う。玲が律のことを頼れと言ったのも、いつかこんな事態に陥ることを予想していたのかもしれない。
 渚と2人で何が出来るかは分からない。歯が立たないのは承知の上で、どうにか隙を作らなければ。そして千里から預かった指輪を使うことで、律を引き摺り戻す。その後は。

「……皆でりっちゃんさん怒りましょうね、悠時さん」
「そだな、一人で突っ走って迷惑かけて心配かけやがって、何やってんだよいい歳して!って怒ってやんねーとな」
「きっとりっちゃんさん、引き摺られたこともめっちゃ気にするっす」
「俺らのことをちゃんと頼りにしねーからそういうことになるって教えてやりゃあいいんだよ」

 笑いながらそう言う悠時に、恭は頷く。もっと人に頼ることを覚えろと怒ってもいいだろう。一人で何でもしようとするから、こんなことになっている。それは反省してもらわなければならない。反省させたら、その後は――律と一緒に、玲の仇討ちに行けるだろうか。
 恭は奈南美を知らない。会ったこともなければ見たこともない人物で、何も分からない。それでも律を『彼方』に引き摺って、玲の死の原因を作った人物であるならば、放置しておくわけにはいかない。それこそ反省して二度とそんなことをしないように、という考えはきっと子供じみているが、それでも。
 全てが丸く収まりますように。その為に、出来ることをしなければならない。



 悠時にこういう時はやっぱカツ丼だろ、と言われて夕飯を奢ってもらって。律の家まで送ると言われたのは固辞して、恭は一人で律の家の近くの駅まで戻ってきていた。改札口で先に待っていた渚が、恭を見て眉を寄せる。

「遅え」
「松崎先輩が早いんすよ!? ……へへ、ありがとうございます」
「言ったろ、お前の為じゃねえよ」
「それでもっすよ」

 約束を破るような人間ではないことは知っている。それでも来てくれたことにほっとしてしまう。一人で行くのは心細いが、本当に渚が一緒に来てくれるなら少し肩の力が抜ける。
 渚に律の実家に行ったことや指輪を預かったことを報告している間に、あっという間に律の部屋の前に着く。毎日を過ごしているはずのその場所が異様な雰囲気に包まれているように感じられる。

「多分、扉を開けたら『彼岸』の領域だ」
「うす」
「……何が起こってもいいように先『変身』しとけ」
「あ、なるほど」

 渚のアドバイスに頷いて、『変身』を済ませ。いつも使用している合鍵を使って鍵を開けると、すんなりと扉は開いた。チェーンが掛かっているかもしれない、魔術を使って閉められているかもしれない、という心配は必要ないようだ。
 そっと扉を開くと、中から漏れ聞こえたのはピアノの音。しかしその音に妙な違和感を感じて、恭は首を傾げた。律は基本的に自分のピアノを触られたくない、という理由で恭にピアノを触らせたことはない。しかし、時々練習している音は聞いていた。音楽の知識が全くない恭でも違和感を覚えるそれは、恐らく『律が弾くピアノの音には聞こえない』という点だ。
 いつもの律のピアノの音は、落ち着いた柔らかい音だ、と感じることが多い。しかし今聞こえてくる音は、荒々しく攻撃的で――律以外の人間が弾いている、と言われても信じてしまいそうな。しかしこの家の中でピアノを弾くのは、律しかいない筈だ。
 深呼吸。入り慣れているはずの部屋に、足を踏み入れる。瞬間広がったのは、全く知らない部屋。歪んだ真っ赤なその場所は、律の部屋のようでありながら異様に広さのある不可思議な空間と化していた。

「――ッ!」
「……何か用?」

 瞬間、恭の鼻先をかすめるくらいの位置に雷弾が疾る。背後で渚が息を呑む音が聞こえた。ピアノの演奏は、いつの間にか止まっている。
 距離としてはいつもピアノが置かれている部屋と同じくらいの距離だろうか。真っ赤なピアノのすぐ隣に、その姿が見えた。椅子に腰を下ろしている律の右手には、見慣れた銃。

「……一発目から手荒いな……」
「……渚くん? 何でいるの」
「お久しぶりです、茅嶋さん。柳川の手助けで来ました」
「何それ。邪魔」

 眉を寄せた律の銃から、問答無用で2発目の雷弾が放たれる。しかしその頃には渚の手には1枚の紋様が書かれたカード。かき消えたそれに仕込まれていた術式が発動して、小さな狐の『式神』が雷弾を受け止めて消えていく。

「ああそうか、渚くん『陰陽師』……、……めんどくさ……」

 ぶつぶつと小さく呟いた律は、しかし動く気配がない。代わりにその手から銃が消え、指がピアノの鍵盤へと乗せられ。――嫌な予感がする。
 無言で渚が数枚のカードを取り出した。ぶつぶつと呟かれた何かと共に、カードが白い狐へと変化する。腰の丈ほどのその白い狐が飛び掛かる準備をするかのように体勢を屈めるのと同時、恭と渚の足元に黒い魔法陣が現れた。

「っ、やっべ……!?」
「避けろ柳川!」

 怒鳴り声。見るからに危険を示すそれがある場所から飛びのいた瞬間、渚の白い狐が魔法陣に飛び掛かる。魔法陣からは真っ黒な稲妻が奔り、それは狐と絡み合って――しかし。

「ッ……!」
「松崎せんぱ、」
「気にすんな、いける」

 反動が返ってきたのだろう、渚が手を押さえて舌打ちする。ぽたり、と零れる赤い血。術式同士を競わせても、術者にダメージが戻ってくるとなると相当だ。自分たちが何を相手にしているのかを否が応でも思い知らされる。
 ピアノの演奏は続く。次々に部屋に浮かび上がってくる魔法陣を防ぎ切るのは厳しい。走れば発動を振り切ってピアノまで辿り着けるだろうか。辿り着ければ、どうにか律をピアノの前から動かして、出来ることなら今は消えている銃も奪ってしまいたいところだ。無理なのは分かっているが、ひとまず出来ることをやらなければ、死ぬ。

「……らぁっ!」

 迷ってはいられない、瞬発力には自信がある。恭の足元に現れた魔法陣が発光した瞬間に、走る――ピアノを目掛けて。さほど距離があるわけではない、1秒もあれば充分ピアノに辿り着ける。
 そう思った、次の瞬間だった。

「……え」
「……誰が入っていいって言った?」
「ちょ、……なんで……?」

 ピアノの演奏の手を止めた律の表情は、相変わらず冷ややかだ。しかしそんなことよりも、ピアノと恭の間に姿を現して、恭の動きを止めたのは。
 女。真っ赤な色をした、女――玲の顔を、した。
 見間違えるはずがない。それはどこからどう見ても、姉である玲の顔をしている。表情はない、肌も髪も瞳も赤に染まってまるで赤の彫刻の作品のようだが、それでも。
 玲はもう死んでいる、それは恭もよく分かっている。悠時の話を思い出す。玲は『赤い部屋』の怪異に律が負けたから死んでしまったと言っていた。しかしその後、律は『赤い部屋』の怪異を倒している筈だ。

「どう、なって……姉貴……?」
「……玲先輩、それ、殺しても良いですよ。邪魔だし」
「しっかりしろ柳川!」

 遅れて発動し続ける魔法陣を止めていた渚が叫ぶ。それは分かっている、聞こえている――しかし恭は動けない。今何が起きているのか、本当に分からない。
 どうして玲がここにいるのか。そしてどうして律はそれが当たり前のように話しているのか。確かに律はこの女を玲先輩と呼んだ。なら本当に、間違いなく。

「柳川!」
「……あ、」

 真っ赤な手が、恭に伸びてくる。その手は一瞬で刃と化して、恭の身体を貫こうとして。
 瞬間、恭の目の前に現れる小さな狐。動けないと見た渚が助け船を出してくれたのだとすぐに理解する。それを見た律が舌打ちして、また始まったピアノの演奏が真っ黒な魔法陣を生む。――どうすればいい。

「柳川! いい加減にしろ大馬鹿が! またやらかす気か!?」
「っ……うす!」

 渚の怒鳴り声と共に、白い狐が今日の身体を後ろに引っ張った。直後、先程まで恭が居た位置に真っ黒な稲妻が落ちる。幾ら渚の『式神』で多少は身を守れるとはいえ、直撃すればどうなっていたか分からない。追撃するように迫ってきた女の刃の手を、白い狐の尾が薙ぎ払う。ぼとりと床に落ちた赤い手は、ぐずぐずと溶けて赤い部屋に呑み込まれていく。

「柳川。あれはお前の姉か?」
「……うす。でも……でも」

 玲は死んでいる――4年も前に。今更もう帰ってこないことなど、よく知っている。
 だからあの女は。どういった存在なのか全く理解が出来ないが、間違いなく恭が知っている玲ではない。あれは恐らく今、律を『彼方』に引き摺っている『何か』だ。

「……姉貴なんかじゃ、ない。姉貴はあんなことぜってーしないっす」
「それでいい。やるぞ」

 白い狐が女へと飛び掛かっていく。先程手を落とされたはずの女は、その手を再び刃へと変えて応戦している。恭も渚に加勢したいところではあるが、その間にも律の黒い魔法陣は襲い掛かってくる。どのタイミングで襲ってくるか全く分からないそれに対応しなければならない。それでも何とか見極める、避ける。これではいつまでもどうにもならない、恭のスタミナが切れてしまう方が先だ。止めるにはとにかく、ピアノまで辿り着かなければ。
 律が魔術を使う方法を思い返す。『リズム』と『旋律』、もしくは『リズム』と銃、或いは呪文詠唱と魔法陣。それに今回ピアノが加わっている。ピアノで『旋律』を奏でている、ということだろう。
 この場合、狙うなら手だ。手が使えなければ、恐らく然程何も出来ない。ピアニストに手は命だからと律が一番気を付けている、その箇所。狙うのであれば、そこしかない。
 きりきりと引き絞るように、神経が研ぎ澄まされていく。

「松崎先輩!」
「ッ……ちょっと、待ってろ!」

 説明は不要だ、渚は恭の考えを理解している。兎にも角にも女に進路を塞がれては律の元に辿り着けない。取っ組み合うかのように女に飛び掛かった白い狐が首元に咬みついて、女を組み敷いて。
 ――今。
 その瞬間を逃さずに、恭は走る。女と狐の横をすり抜けて、恭は律の腕に手を伸ばした。