One Last P"l/r"aying

07

 午前2時過ぎ。律はとあるマンションを訪れていた。
 男の言葉通り、カードを見た律に『行かない』という選択肢はなかった。――それが罠だと分かっていても。男の残した伝言と、カードに書かれた内容。それは充分過ぎるほどの情報で、その先には律が4年間探し続けた相手がいる。

 4年前、柳川 玲は『彼岸』に殺された。

 その『彼岸』を操っていた人物を、ずっと律は探し続けてきた。消息を追い続けていれば、必ず向こうから接触してくるだろうという確信があったから。この接触がそうなのであれば、どんな罠でも受け入れざるを得ない。
 カードに書かれていたのは、かつて玲が住んでいた部屋の住所。その部屋で玲は倒れ――そして、その部屋で律は戦った。そしてその結果、玲を助けることはできなかった。死なせてしまった。その後悔は、この4年間ずっと律を蝕んでいる。
 部屋の扉の前に立つ。表札に名前はなく、中からは何の気配も感じることは出来ない。一度扉に手をかけかけて、一瞬迷ってから『リズム』を刻んで、口笛。銃を片手にしっかりと握り締めて、深呼吸ひとつ。インターホンに手を伸ばして、そのボタンを押す。気の抜けたインターホンの音が鳴り響いた後、続けてがちゃりと鍵が音を立てた。そして静寂。入ってこいと、誘われている。
 扉に手を掛け直して、しかしその手が震えていることに笑ってしまう。今更のように、一人で来るべきではなかったかもしれない、という思いが頭を過ぎる。それでも、知り合いを当たるにはこの時間帯は非常識だ。そして何より、これは律自身の問題だ。関係のない人は巻き込めない。玲の弟である恭は巻き込みたくない。そうなればどちらにしろ、律はここに一人で来る以外の選択肢を持っていない。
 ゆっくりと扉を開く。部屋の中は不自然な程に真っ暗で、何も見えない。術式を展開、小さな光源を作り出してから中へと足を踏み入れる。がちゃん、と背後で扉が閉まる音がやけに大きく響いて聞こえる。作り出した光源で周囲を照らして、背筋に走る寒気。目に入る光景を、律は覚えている。この場所は間違いなく、玲の部屋だ。4年前、既に退去になっている筈なのに。小物ひとつ違わず、律の記憶にあるままの。

「……ほんっと、相変わらず趣味悪いな」

 そっくりそのまま再現するなど、かなりの手間だっただろうに。けれど相手は、その手間を惜しまない。考えそうなことだ、と思ってしまう。光源を頼りに電気のスイッチを探し当てて点ければ、眩しさに一瞬視界が飛んだ。

「ふふ。お久し振りです、茅嶋先輩」
「……久し振り、新藤さん」

 ワンルームの部屋の中。ベッドに腰掛けて、一人の女が笑う。その姿もまた、4年前と何ひとつ変わっていない。
 女――『魔女』、新藤 奈南美。『使い魔』を用い、『彼岸』を使役する、律の仇敵。

「……相変わらず歳取らないんだ」
「あら。私の実年齢をご存知なのにそれをおっしゃいますか。まあ構いませんけど」
「俺を此処に呼び出した理由を知りたいんだけど」
「……ふふ。私に会いたがっていたのは貴方の方じゃないんですか?茅嶋先輩。随分と私のことを探していらっしゃったようで」
「俺の行動なんて新藤さんにはお見通しだろうし、尻尾を掴めるとは思ってなかったけどね」

 元々、4年前もそうだった。『使い魔』を使用することで『魔女』はある程度、律の行動を把握している。だからこそ、律の追跡から逃げることは彼女にとっては容易いことだ。
 ――いや、逃げるという表現は正しくないのだろう。彼女にとって、律は敵ではない。4年前、律は彼女に負けている。彼女が本気であれば律を殺す程度のことは造作もないことで、命がけで戦ったところで律は彼女に少し傷を負わせる程度のことしか出来なかった。
 今は、どうだろうか。あれから魔術の研鑽は積んできた。この『魔女』を倒せるだけの力を身につけることは出来ただろうか。分からない。
 奈南美は笑う。心底、楽しそうに。

「そうですね、ある程度は把握していますよ。貴方が今バーテンダーとして働いていることも、柳川先輩の弟さんと住んでいらっしゃることも、あの頃とは違って相当『ウィザード』としてのお仕事をなさってきたことも、……その先々で私の情報を追っていたことも」
「何の手掛かりも掴ませて貰えなかったけどね」
「そうでもないですよ。だって茅嶋先輩、ちゃあんとお気付きだったじゃないですか」
「何を」
「蛇」
「……」

 発された単語に、すぐに理解する。過剰反応かもしれない、と思った可能性。先日の『仕事』、蛇を使った呪法を女子高生に教えた、『誰か』の存在。

「……恭くんでも狙うつもりだった?」
「ふふ。少しずつ遊ぼうと思っていたのに、すぐバレちゃってつまらないものでした」
「あの『ネクロマンサー』が来てた屋敷にも何か?」
「アレ自体は私の差し金ではないです。そもそも元は貴方達に横流しになった依頼でしょう? 茅嶋先輩とあの人……月城さん?が行く場所だと言うから調べてみたら面白そうでしたし、それで様子を見に行かせたんですけど。あっさり返り討ちに遭うなんて、本当に役に立ちませんでした」

 やれやれ、とでも言いたげにわざとらしく奈南美は肩を竦める。あの男は奈南美のことを『姉御』と呼んでいた。心酔している配下なのかもしれない。奈南美に代わって、あの男が手足となって動いていたのだろう。それを芹があっさり倒してしまったことで、彼女としても予定が狂ったのかもしれない。

「……それにしてもあの柳川先輩の弟さん、随分色々なモノに好かれる子ですね。直接手を出すのは非常に面倒と言わざるを得ません」
「つまり手を出すつもりはあったんだね」
「勿論。だって貴方は絶対にあの子を守りたいでしょう?」

 楽しそうに笑う奈南美に、律は言葉を返せない。
 彼女の言う通り、恭は恐らく生来のものなのだろうが、『此方』も『彼方』も『彼岸』も何ら関係なく、好かれ愛されるところがある。実際、『ウィザード』や『神憑り』のように『彼岸』の力を借りる術を持たない『ヒーロー』の力を持つ者でありながら、『彼岸』の力を何のリスクも取引もなく借りている。いつも傍に居る『分体』が良い例だ。それは『此方』や『彼方』の世界に生きる者にとっては優れた才能で、だからこそ危なっかしく、余計に律は恭を巻き込みたくないと思ってしまう。――何より、恭まで失いたくない。そんなことになってしまったら、今度こそきっと。

「なのでまあ、今回はちょっと趣向を変えてみることにしました」
「……趣向を変える?」
「貴方を如何にして苦しめるか、私ほんっとうにたくさん考えたんですよ。とっても楽しかったです」

 笑いながら奈南美がそんなことを口にした、その瞬間。一瞬で部屋の雰囲気が、景色が、変わった。反射的に銃を構えて――手が震えるのを、堪えられない。
 現れたのは真っ赤な部屋。『赤い部屋』の『領域』。それはあの時と寸分違わぬ、風景。

「紹介しますね、茅嶋先輩。今は私に力を貸してくれてるんです」
「……何、で」
「だって先代はあのとき、茅嶋先輩が倒してしまったじゃないですか。だから最後に殺された彼女が引き継ぐことになったんです」

 ずるり、と現れた『赤い部屋』の女は、無表情に律を見る。そこに感情はない。けれど向こうになくても、律にはある。忘れる訳がない。見間違える訳がない。銃を握る手の震えを、抑えることが出来ない。

「れい、せんぱい……?」
「ちゃあんと目を逸らさずにご覧下さい、茅嶋先輩。これが貴方が4年前したことの結末です」
「……うそだ、」
「嘘じゃあないですよ? 貴方がのうのうと生きている間、彼女は私の使役する『カミ』となって、たくさんの生命を啜ってきたんですから。ずうっと」
「……うそだ、やめろ、」
「現実を直視して下さい、茅嶋先輩。……貴方が彼女をこうしてしまったんです。貴方が彼女を、苦しめ続けている」
「やめろ!」

 胸が詰まって吐き気がする。呼吸が出来なくなる。頭がガンガンする――駄目だ。今すぐこの場から逃げ出してしまいたい。どうすればいいのか分からない。最善など存在しない。
 ゆらり、と『赤い部屋』が動く。律は反応出来ない。一歩も動けない、完全に身体が硬直して動くことを拒否している。退くことも、そして向けた銃口の引き金を引くことも出来ない。これは玲の形をした『彼岸』だ、奈南美の配下だ、このままであれば確実に殺される、ならば戦わなくてはならない。分かっているのに。
 ――戦えない。
 4年前自分が死なせてしまった人を、また、『殺せ』というのか。
 無造作に伸びてきた『赤い部屋』の手が、律の首を捕まえる。抵抗が出来ない。その手を振り払うことすら出来ない。末路は、見えているのに。
 このまま死ぬのか。このまま殺されるのか。玲の形をした『赤い部屋』に殺されるのであれば、それは報いなのかもしれない。
 ぐらり、と意識が揺らいでいく。手から銃が滑り落ちていく。戦わなければいけない。帰らないといけない。そう思うのに。恭との約束、悠時と芹との約束、一日遅れで誕生日を祝ってくれる日。恭はきっと自分の誕生日でもないのに律よりも遥かに楽しみにしている。だから、ちゃんと帰ってあげないと。そう、思うのに。
 視界の端で、奈南美が暗く笑った。

「……すぐ殺したりしませんよ。もっともっと面白いモノ、私に見せて下さいね? 茅嶋先輩……?」


 気付けば律は自室のベッドの上に寝転がっていた。
 いつ帰ってきたのか、何があったのか、どうにも記憶がない。頭がガンガンと痛む。酒を飲んだ覚えはないな、と思いながら身体を起こす。やたらと不快感が身体を支配していて、ひどく気怠い。

「……ねむ……」

 ふわ、と欠伸をひとつ。横になればまたすぐに眠れそうな気がする。起きているのも動くのも面倒でかったるい、と感じる。出来ればこのままぼうっとしているのが一番だ。
 ふと外から聞こえた足音に、律は玄関へと視線を向けた。がちゃり、と鍵の回る音がする。続いて扉が開いて、誰かが入ってくる気配。

「あれ、電気点いてねー……あれ?りっちゃんさんいるじゃないっすか、ただいまっすー」
「……恭くん」
「今朝帰ってこなかったから心配したんすよー?何か仕事でも入ってたんすか?てかこんな真っ暗な部屋で何してるんすか、あ、寝てました?もう19時っすよー。あ、ケーキ屋さんぶんちゃんに調べてもらったんすけどー、思ったより遠くて!遅くなってごめんなさいっす」

 元気な恭の声が、耳に酷く煩わしい。喋りながら部屋の電気を点けた恭が、そこで動きを止めた。目を丸くして何かに驚いているのが見て取れるが、律は恭が何に驚いているのか分からない。いつもと何も変わらない。
 こちらから見る限り、恭もいつもと同じだ。いつもと同じ着崩した制服で、重そうなスポーツバックを担いで。いつもと違うのは、手に大きめの白い箱を持っていること。そう言えばケーキを買ってくる話をしていた気がする、とぼんやり思う。

「……りっちゃんさん……?」
「なに……」
「何すか、この部屋……何があったんすか……?」
「……は?何が?」

 さっきまで寝ていたのだ、何かした覚えはない。そして律からすれば、部屋に気になる点など何ひとつない。そんなことよりもやたらと恭の声が耳障りで苛々する。
 ――鬱陶しい。我慢が、出来ない。

『恭あかん近づくな!』
「……うるさいなあ」
「りっちゃんさん、何があったんすか!おかしい……」
「何もないよ見たら分かるじゃん。ほんとうるさい。……まだ喋るつもりなら死んで。そしたら黙れるでしょ」

 耳障りで不愉快だ。瞬時に刻んだ『リズム』、躊躇することなく引き金を引く。ばちりと散る火花、そしてぼとりと恭の手から白い箱が落ちていく。白い箱が床に落ちて潰れてひしゃげたのが見えて、床が汚れたことに溜め息を吐く。面倒事が増えていく。
 雷弾の直撃で気絶した恭の身体を引き摺って、荷物ごと部屋の外に放り出す。部屋の中が静かになれば、それでいい。何も確認せずに扉を閉めて鍵をかけ直して、振り返る。不意にキッチンカウンターに現れる人影。人影は笑う。ふわりと笑って、その口元が動いたのが見える。声は出ていないけれど、その唇は確かに、律の名を呼んだ。

「……俺の家に来るの、久し振りですね」

 潰れた白い箱は、後で掃除をするとして。ひとまず再びベッドの上に腰を下ろして、律は薄く笑う。
 真っ赤に染まった、部屋。それは笑う彼女が、居てくれる証。――悪くない。4年振りに、一緒に居ることが出来るのだから。

「久し振りに一緒に呑みましょうか、玲先輩」