My Variegated Days

08

 お化け屋敷の中は思いのほか暗かった。よくあるタイプの歩いて屋敷の中を通っていく、道中に怖がらせるための仕掛けがあるものだ。物がいきなり動いたり、扉がいきなり開いたり、中から仮装をしたスタッフが出てきたりと忙しい。

「ゆりっぺ、これ目閉じてダッシュしたらいけるのでは?」
「ええとね、恭ちゃんは確実に壁に激突する未来が見えるから、やめといた方がよくないかな?」

 思わず呟いた言葉に、冷静な憂凛の言葉が返ってくる。反論できないので素直に歩いていくしかない。
 恭も憂凛も何かが起きる度にわあわあと騒いで、憂凛は怖がりながらも楽しそうに恭の腕にしがみついていた。仕掛けも結構凝っていて、思いがけないところから現れる様々なものに叫んでしまう。
 廊下のような部分を歩いているといきなり上から逆さ吊りの人形が落ちてきて二人で悲鳴を上げながらも、更に先に進むと少し広くなっている部屋に出た。今度は何の仕掛けがあるのだろうかと思いつつ、足を踏み出して。
 瞬間、ブレーカーが落ちたように部屋が真っ暗になった。

「わっ」
「なになに、真っ暗ー」
「ゆりっぺ、見える?」
「んー……? ちょっと無理かもー……」

 憂凛が恭の腕にしがみついたまま目を凝らして、首を傾げる。先ほどまではほんのりでも明かりがあったのだが、全く何も見えない。憂凛の『狐』としての目であれば何か見えるかと思ったが、それでも駄目なのであれば目が慣れるまで少し待つしかないだろう。無理に手探りで進むことを想定されているかどうか、分からない。
 そう思いつつももう一歩。無意識に足を動かした瞬間に。

「おふたりでー、デートですか? 妬けちゃうなー」

 のんびりとした、ここ最近聞き慣れた声に足が止まった。――この暗闇は、お化け屋敷の仕掛けではないということか。だから、憂凛の目でも何も見えない空間になってしまっている。

「……あれ、この声聞いたことある……」
「……ゆりっぺ、いつでも戦えるようにしといて」
「え、何、どうしたの?」
「俺ちょっと最近ストーカーに追いかけられてて」
「誰が誰のストーカーですかー。ひっどいですねー、柳川先輩ってばー」

 あはは、と小さな笑い声と共に目の端に入る銀色。こんなところでナイフを振り回されるのはあまりにも想定外だ。憂凛の腕を引いて後ろに下がる形で回避すると、暗闇の中にはっきりと郁真の姿が現れる。
 郁真の表情は、いつもと違っていた。へらへらとした笑顔は鳴りを潜め、その表情は真剣そのもので。そしてその視線は恭ではなく、憂凛に向けられている。

「……え? 宮内くん?」
「こんばんはー、橘先輩ー」
「ゆりっぺの後輩、だよね」
「そうだけど、何で恭ちゃんが知って……っていうか恭ちゃん何で宮内くんに襲われてるの!?」
「やだなー橘先輩ってばー。何度も言ってるでしょう? ……僕は、貴女がいてくれればー、何もいらない。だったら、柳川先輩は、邪魔。ですよね?」

 にこりとも笑わずに、真剣な表情のまま低い声で言い放って。その手の中のナイフが躍る。恭へと襲いかかってきたその刃を憂凛から離れて何とか避け切ったものの、ここでこのまま『変身』していいものなのかどうかが分からない。郁真が力を借りている『彼岸』の力でこの空間が切り取られているのであれば問題はないだろうが、戻ったときにこの場所はお化け屋敷の中ということになる。

「恭ちゃんは関係ないでしょ宮内くん、怒るよ!?」
「関係ありますよ。自分が一番わかってますよね、橘先輩。僕、柳川先輩のことが憎くて憎くてたまらないんですよ」
「いや何で俺……」
「そりゃ当たり前じゃないですか」
「宮内くんっ」
「橘先輩が、」
「黙って!」

 焦った憂凛の声と同時、その瞳が琥珀色に輝いたのが見えた。次の瞬間には同じように琥珀色の狐の耳と尻尾を露わにした憂凛が郁真へと駆けていく。あっという間に郁真を取り押さえてしまうそのスピードは、普通の人間が対応できるようなものではない。首元を押さえ込まれた状態で押し倒された郁真は、平然とした表情で憂凛を見上げている。
 何が起きているのか分からない。
 郁真は恭を殺したい、ということは既に分かっていることだ。そして郁真は憂凛に恋心を抱いていて、それは本当のようで、憂凛は郁真のことを知っている。そして憂凛は、郁真が恭を殺したい程に憎む理由を知っているのか。

「……ふふ。何度見ても狐の橘先輩も可愛いですよねえ」
「……だまって、っていってるの……おこるよ」
「怒ってるじゃないですかー、やだなあもう」
「こんなことしたって、ゆり、くないくんのこと、すきにならないよ」
「分かってますよ。だからです」
「きょうちゃんは、かんけい、ないでしょ」
「……ゆりっぺ、俺全然話が分からない……」
「うん……ごめんね、きょうちゃん。こんなことになるとおもってなかった」
「何が……」
「橘先輩。柳川先輩のこと殺されたくないでしょ? だったらこのまま僕のこと、殺してくださいよ」

 話に頭がついていかない。誰かちゃんと説明してくれないか、と思ったところでここには3人しかいない。
 妙に空気が張り詰めている。恭から憂凛の表情を伺うことはできない。憂凛と郁真の間に何が起きてこんなことになって、そしてどうして恭まで巻き込まれる事態になっているのか。全部聞いてしまいたいが、この空気でどう聞けばいいのかも分からない。

「……殺すとか殺してくれとかブッソーな話はとりあえずやめない……?」

 恭にできるのは、そんな提案くらいのものだ。平和に話し合いで解決できるのが一番で、きっと話せば分かると思いたい。そもそも、恭には何も分からないのだ。恭を殺す話がどこから郁真が憂凛に殺されるという話になったのか。
 そして何より、憂凛が何の躊躇いもなく『狐』の姿を見せたということは、郁真が憂凛を『半人』だと知っているということで、そのことを憂凛も分かっているということだ。一体どういう関係なのか、皆目見当がつかない。

「このままだったらー、僕は柳川先輩を殺します」
「だめ。きょうちゃんは、ころさせない」
「じゃあ僕を殺してくれるんですか?」
「くないくんも、ころさない。……いったでしょ、『あちら』だからって、ころしたり、いじめたり……そんなこと、ゆりはしないよ、って。ゆりのこうはいの、ひとりだよって。いった」
「そうですねー。そういうひとだから、だから僕は橘先輩が好きなんです」

 郁真の声が、笑った。
 瞬間的に体が動いた。無意識だったのか、それとも視界に捉えたからなのかは分からない。その位置は、今の憂凛には完全に死角になっている。

「ゆりっぺ!」

 ――間に合わない。『変身』さえしていれば届いただろう手は、届かない。
 恭が伸ばした手は憂凛の肩を掴むことはできたものの、それよりも早く郁真の手のサバイバルナイフが憂凛の首を切り裂いた。郁真の表情が、見える。その表情は本当に嬉しそうに無邪気に笑っていて、背筋が凍る。
 そして、確かに首を切り裂かれたはずの憂凛の首から、血は全く出ていなかった。切られた形跡もない。しかし、憂凛は動きを止めたまま動かない。

「ゆりっぺ!?」
「本当は柳川先輩を殺して絶望して欲しかったんですけど、もうこっちの方が早いですもんね」

 ひどく嫌な、笑顔。憂凛の肩を引いて、その体を郁真から引き剝がして恭の方へと抱き寄せる。そこで初めて、憂凛の表情が見えた。

「……ゆ、ゆりっぺ……?」
「あ……」

 目を見開いて、何かに怯えたような表情の憂凛のそれは、恭が見たことのない憂凛の表情だった。心臓をきりぎりと締め付けられるような痛みが走る。お化け屋敷に入る前に感じた、『嫌な予感』を思い出す。
 琴葉や律から『シャーマン』の話を聞いたとき、何と言っていたか。自分のダメージを精神的ダメージに換算して返してくる、といったような話をしていなかったか。しかし今の場合は憂凛が攻撃されていて、郁真は無傷の筈だ。

「何が起きたのかさっぱり分かってない顔してますねー、柳川先輩」
「……ゆりっぺに何した」
「本当は橘先輩に僕を殺してもらって、その代わりに引き摺り堕とす方が楽で良かったんですけどねー」
「……堕とす?」
「僕が力を借りてる『カミサマ』ってー、色んな力使えるんですよねー」

 引き摺る、堕とす。それは『此方』から『彼方』に変わるときに使われる言葉だということくらいは、恭も知っている。
 もう一度憂凛を見る。憂凛は動かない。何かに怯えた表情のまま。――思い当たるとすればこれは、肉体に与えるべきダメージをそのまま、精神的なダメージへと切り替えたのか。

「あは。分かったみたいですね、柳川先輩」
「……ジョーダン、」
「じゃあないですよ? 僕の『カミサマ』は、そういう『カミサマ』ですもん。柳川先輩のオトモダチの『カミサマ』とは違ってね」

 あは、とまた郁真が笑う。その時、びくん、と恭の腕の中の憂凛の体が震えた。琥珀色の美しい狐の毛の色が、ゆっくりと抜けていく。灰色へ、暗く、暗く。

「ゆりっぺ、ダメだ、しっかりしろ!」
「あ、あああ、あ……っ」
「もう無駄ですよー、柳川先輩」
「ゆりっぺ! ゆりっぺ!?」

 無駄だなんて思いたくない。必死で憂凛の名前を呼ぶがしかし、憂凛にその声は届いていない。恭の姿さえ多分見えていなくて、今恭の腕の中にいることさえ分かってはいない。こんなに近くにいるのに、その瞳に写っているのは真っ暗な何か。
 色が抜けていく。抜け落ちていく。半分『人』である憂凛が、半分『妖』であるその姿を、強く顕して。

「いやああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!!!!!!!!!!!」

 絶叫の悲鳴が響き渡った瞬間、世界が真っ白に染まった。


 反射的に閉じてしまった目を恐る恐る開くと、そこはお化け屋敷の外だった。

「……嘘だろ」

 辺りは至って普通だ。閉園の時間が近づいているからか、入場口の方向へと向かっている人が多い。
 一体いつの間にお化け屋敷の中から出たのか。何より先ほどまで憂凛と郁真といた筈で、しかし二人の姿は周囲にはない。恭だけが別の場所に移動させられたということか。あのまま憂凛を放っておくわけにはいかない。

「っ、くっそ……!」

 もう一度お化け屋敷に入れば何とかなるだろうか。しかし並んで入ったところでまたあの場所に戻れるかどうかは分からない上に、恐らくお化け屋敷の受付時間は終わってしまっている。
 お化け屋敷の中に現れた『彼岸』の領域。律がいれば恭が襲われたときのように追い払って片付けてくれたかもしれないが、いないものはどうしようもない。今、憂凛はどうなっているのだろう。琥珀色が灰色に染まっていくあの光景は夢ではなく現実だ。『半人』が『半妖』へと引き摺られ、堕ちる瞬間。人から、より妖へ。
 一人でどう動けばいいのか全く分からない現状、まずは渚に相談するしかないだろう。お化け屋敷の近くで待っていてくれているはずだ。しかし、一緒にいるであろう佑月には説明できない。一般人である佑月を巻き込める状況ではない。
 どうしようかとは思ったが、こういったことは渚に任せた方が早いだろう。考えるのを止めて、渚と佑月と別れた場所まで戻る。しかしそのベンチで休んでいた筈の渚の姿も、一緒に居る筈の佑月の姿も見当たらない。二人でどこかに行ってしまったのだろうかと思ったが、佑月はともかく渚に限ればそれはないだろう。佑月と二人で行動する渚というのは、どうにも想像ができない。
 電話した方が早かったかもしれない、とスマートフォンを取り出す。呼び出した渚の電話番号、コール音が一度、二度、三度と鳴り響く。早く、早く。気だけが急いて、時間は過ぎていく。

『……はい』
「松崎先輩!? 今どこにいるんすか!?」
『……でっけえ声だな……うるせえんだよお前は……』

 ようやっと電話に出た渚の声には力がなく、ひどく弱々しいものに聞こえる。別れたとき、確かにグロッキー状態だった渚は気分が悪そうではあったが、ここまでではなかった。渚にも何かが起きているのか。

「えっと、松崎先輩、今ゆっちゃんと一緒っすか?」
『あ? ……あー……柳川、お前今馬鹿狐と一緒だよな』
「いやそれが、俺らお化け屋敷の中で郁真くんに襲われて」
『は?』
「ゆりっぺ多分『半妖』にされちゃって、あの……えっと、はぐれちゃって、探したいんですけどどうしたらいいのか……」
『……お前今何つった?』

 電話越しではあるが、渚の声が強張って怒りが滲んだのが分かる。足が竦む程の、低く冷たい声。

『憂凛が堕ちたって、そりゃ何の冗談だ』
「……冗談でこんなこと言うほど馬鹿じゃないっす」
『お前がついてて何やってんだ!?』
「っ」
『……くっそ、が、いってえ……ふざけんなよ……』

 恭がついていて。或いは、恭のせいで。
 恭は何もできなかった。助けることができなかった。意味が分からないまま、二人を見ていることしかできなかった。伸ばした手は届かず、間に合わなかった。
 自分のせいだ。もっと気を付けていれば、せめてあの時、憂凛を郁真に近づけてさえいなければ。

『大馬鹿……俺は今動けねーんだよ……死んでも憂凛のこと探し出せ』
「分かってるっす。……え、っと、動けないって何で」
『足やられてんだ……動けねえんだよ』
「は!? 誰に!?」
『白根 佑月だよ』
「……は!?」

 思いがけない言葉に、思考が止まる。渚が何を言っているのか分からない。
 今ここで、一体何が起きているのか。

『よく聞けよ柳川………、憂凛の高校に、白根 佑月って人間は、在籍してない』
「でも、ゆっちゃんはゆりっぺの友達で」
『でも存在してないんだよ……お前の自慢の相棒が調べてきてくれた学生名簿で確認したんだ、間違いないだろ。信じろ。……俺や、お前や、憂凛の記憶を弄って、友達であるかのように振る舞っただけの『彼岸』だ。何なら、本当は会ったのは今日が初めてだよ……」
「いや意味分かんないっすよ松崎先輩……? 何言ってんすか……?」

 ――記憶はある。
 確かに憂凛に佑月のことを紹介された。何度も一緒に遊びに行ったこともあれば、SNSでやり取りもしている。初めてな筈がない。
 深い溜め息が、電話の向こうから聞こえる。分かっている、渚はこんな時にこんな冗談を言う人間ではない。憂凛が危ないというこの状況で嘘は吐かない。渚は確信を持って、恭に話をしている。
 佑月は――『彼岸』。

『よく考えろよ柳川……、お前が馬鹿でも分かるはずだ。この年末年始……いや、そうだな、茅嶋さんに助けてもらってから今朝までの間に、白根のこと、思い出した覚えが、あるか』
「……そんなこと、言われても」
『多分思い出してなんてねえよ。どころかお前の中に白根って人間の存在はなかった筈だ……、俺もそうだった。理由は簡単だよ……、宮内に力を貸してる『彼岸』が白根で、茅嶋さんが一度『リコール』して追い払った、それで結果的に、一時的に俺たちへの干渉が遠のいた』
「いやでも、俺覚えてるし、スマホにだってゆっちゃんの名前あるし、履歴だって」
『お前なあ……、自分の相棒がネットに干渉する『彼岸』の『ケンゾク』だっつーのに、それ言えるか……? 『カミ』となりゃあ、ぶんちゃんの目を欺いてお前のスマホに干渉するくらいのこと、出来たっておかしくねーだろ……』

 理解が追いつかない。渚が何を言っているのか、全くついていけない。
 恭の記憶が、間違っている。律が一度追い払っているから、その間佑月のことを忘れた。――言われてみれば確かに、佑月に年始の挨拶をSNSで送った覚えがない。憂凛にも渚にも、連にも部活の仲間にも、初詣で会わなかった友人や知り合い全員に連絡をした。しかしその中で、確かに佑月に連絡した覚えはない。佑月のことは知っている、覚えている、しかし今朝佑月に「クリスマス以来だね」と言われたが、本当にクリスマスに佑月はいただろうか。
 頭が混乱する。分からない。何も。

「……松崎先輩、は、何で気付いたんすか」
『……多分白根は、俺たちに会う為に今日此処に来たんだよ、無理してな。『リコール』で遠ざけられてリセットがかかったから……もう一度俺たちの記憶を弄る必要があったし、スマホのデータにだって干渉し直さないといけない。いつからか分かんねーけど前から入念に準備していたことを3、4日でやり直さなきゃいけなかった。……だから手が回りきってねーんだよ、細かいところに。それに俺は今朝白根を見た時会ったことねー奴だ、って思った。恐らく白根にとってメインは憂凛とお前だったから……俺の記憶を弄りきれてない』
「……むりっす全然意味わかんないっす」
『とにかく。お前は憂凛を探せ、今すぐ探せ。とりあえずぶんちゃんに頼んで監視カメラ使って探して貰えばいい……『彼岸』の領域に居るんだったらお前だって一緒に居る『彼岸』がいるだろうが、壊してもらえ、いいな』

 監視カメラ、という渚の言葉にはっとする。どうしてその手段を思いつかなかったのか。そして確かに『アリス』であれば、何とか渡り合うことは可能かもしれない。
 何が何なのか恭にはさっぱり分からないが、しかしやらなければならないことは分かる。ひとまずは憂凛のことを探し出し、そして本当に佑月が『彼岸』で郁真に手を貸しているのだとすれば、何が目的なのかを知らなければならない。考えたところで分からないことは、本人に聞くしかない。

『俺のことは気にすんな、琴葉先生に連絡はしてる。……多分助けが来る』
「多分って」
『いいから行け! 憂凛に何かあったらお前殺すぞ!?』
「……ッ、はい!」

 渚のことは心配だが、助けを呼んでいるというのであればこれ以上何も言えない。電話を切って一度深呼吸をして――恭が何か口にする前に、スマートフォンの画面に勢いよく白いもやもやが飛び出してくる。

『監視カメラやな!?』
「うん! 頼む、ぶんちゃん!」
『それくらいちょちょいのちょいやで! 任せとき!』

 白いもやもやが消えると同時に、恭のスマートフォンの画面が勝手に次々に切り替わっていく。恐らく園内の監視カメラの映像が次々に映し出されている。必死でその映像に目を凝らすものの、憂凛の姿も郁真の姿も見つけられない。
 やはり、あのお化け屋敷の中になるのかもしれない。あの場所であのまま『彼岸』の領域に繋がっているのだとしたら、どうにかしてもう一度お化け屋敷に入る必要がある。――恭はお化け屋敷の中から追い出された。出されたのだったら、外から入ることも可能なのではないだろうか。

「……アリスちゃん」
「なあに」

 ふわり。先ほどからずっとそこにいたのではないかというほどに自然に、恭の隣に『アリス』が現れる。ちらりと伺ったその表情は少し怒っているようにも見えた。郁真に会った時点で『アリス』に助けを求めておくべきだったのだろうということが、今なら分かる。しかし今更後悔してももう遅い。

「……ゆりっぺのこと見つけたら、『カミサマ』の領域って壊せる?」
「まあ、私より余程上位でない限りはどうにかなると思うわ」
「じゃあ、お願いします」
「分かった、任せて」
「ぶんちゃん、どう?」
『もうお化け屋敷にはおらんな、中のカメラ潜り込んでみたけどそんな感じは全然せーへん。……何かあるんはこっちやな、観覧車の辺りや』
「観覧車?」
『分かるか?』

 ぱっとスマートフォンの画面が切り替わる。そこには確かに観覧車が映っていて、人もまだ少し並んでいるようだった。しかしそれ以上のことは恭には感じ取れない。
 自分で何かを探そうとするのは諦めて、恭は画面を『アリス』に見せてみる。彼女にはそこに何かが見えているのだろう、すぐに表情が険しくなった。

「……とにかく此処に行きましょう、恭くん。それからよ」
「ん」

 どうか、憂凛が無事であってほしい。あの様子であれば郁真が憂凛にこれ以上危害を加えることはないだろうが、『半妖』となってしまった憂凛が一体どういう行動を取るのかが分からない。『此方』が『彼方』になってしまうということは、心が壊れてしまうということだ。今までの憂凛では考えられないような行動をする可能性も否定はできない。

「ぶんちゃん」
『観覧車までの最短ルート! こっちや!』
「さすが! ありがと!」

 行ったところで恭に何ができるのかは分からない。しかし、行かなければ何もできない。
 向かった先、閉園時間の近い観覧車付近に人は少なかった。観覧車に乗る為に待っている人はもうほとんどおらず、乗り終わって出てくる人がいる程度だ。閉園時間まではあとどれくらいあるのか。追い出される前に何とかしなければならない。
 恭の隣で、くるりと周囲を見回した『アリス』が、呼吸を整えるように息を吐いて。

「……恭くん。少し待っていてくれる?」
「えっ、なに」
「何とかしてくるわ」

 告げた『アリス』はあっという間にその姿を消してしまった。どこに行ってしまったのか分からないが、恐らくここにあるはずの『彼岸』の領域へと向かったのだろう。自力ではどうにもできない恭には、待っていることしかできなかった。