My Variegated Days

06

 その後自宅に辿りつくまで、律は一言も喋らなかった。辿り着いた後は見た目があまり良くないことになっている恭の怪我にもう一度魔術を掛け直した後で、普通の怪我のようにガーゼと包帯を巻く。律は『ヒーラー』ではない、多少の治療は可能でもどうしても時間がかかってしまう。ずきずきと痛む腕の痛みは、琴葉に治療されているときのように簡単には治らない。――反省にはちょうどいいのかもしれない。

「……寝る」
「あ、」
「次一人で家出たら二度とうち入れないから」

 治療を終えた律は、きっぱりとした口調で言い放って。そして自分の怪我の治療をすることなく、布団の中へと潜り込んでしまった。ひどく疲れた顔をしているようにも見えたので、恐らくは何らかの魔術を使ったときに一緒に体力を消耗しているのだろう。
 何ひとつ言葉が出ない。どうしたらいいのか分からずに、恭は布団に潜り込んだ律の姿をぼんやりと眺める。怒っているのがよく分かる――当然だ。
 そもそも、律が一人で行動しているのと恭が一人で行動するのでは、意味が違い過ぎる。恭は律ほどの経験も力もない。あれこれ調べて考えるのも苦手で、何か起きても対処出来ない。

「……ごめんなさい」

 謝罪したところで、返事はない。ひとまず律をゆっくり寝かせなければ、と恭は周囲を見渡す。
 隣室のピアノが置いてある部屋には、絶対に勝手に入るなと言われている。1LDKの室内で他に居られるところなどほとんどない。電源が切れたままのスマートフォンを拾うと、ピアノの部屋以外で唯一区切られた区画になる洗面所に入る。扉に背を預ける形でずるずると座り込んで、溜め息。
 やらかしてしまったことは、分かっている。頭を抱えながらスマートフォンの電源を入れて、瞬間ディスプレイから飛び出してくる小さな人型の白いもやもや。ご丁寧に怒っている顔文字までついてきた。

『おらぁ恭! お前何してんねんワレ! ボケが! いてこましたろか!』
「……ごめん……」
『……お、おう。分かってんのやったらええんやけどな、うん』

 勢い込んで怒鳴ってきた『分体』はしかし、恭の様子を見て何かを察知したらしい。恭としてはもはや謝ることしかできない。あとで『アリス』にも謝罪しなければ、とぼんやり思う。
 ――恭が部屋を出たあの後。そっと出たつもりだったが、やはり恭が出て行く音で律が目を覚まして、寝起きで全く事態を把握出来ていなかった律の頭を起こす為に、『分体』は電源の切れた恭のスマートフォンから律のスマートフォンに移動したらしい。けたたましい音量でアラームを鳴らして起こして、恭が渚と佑月から得た情報を話して、そして恭が飛び出していったことを伝えて。それを聞いて律はすぐに飛び起きて、コートだけを掴んで家の鍵も閉めずに恭を追いかけていったのだと、『分体』が教えてくれた。
 冷静になると、どうしてあと2時間が待てなかったのかが分からない。2時間後に起きた律に相談して、一緒に考えてもらうべきだった。焦ったところでいいことなど何もない。
 殺されかけて、助けてもらって、本気で怒られて。怒られるにしても、いつものように口うるさく言われる方が余程マシだ。今回のようにほとんど何も言われない方が怖くて、精神的にもきつい。

『アホ恭。』
「……ほんっとそれな……何でいけると思ったんだろ……馬鹿過ぎ……」
『まあええ経験になったんやないか。今回は無事やったんやし。絶対! もう二度と! 同じことはしたらあかんぞ』
「うん……」

 しかし、郁真のことは気にかかる。これからどう対応すればいいのか。
 律のお陰で助かりはしたがしかし、これで郁真が諦めてくれるとも思えない。諦めてくれれば万々歳だが、今度は律がいない時を狙って来る方が確率としては高いだろう。
 今のところ、恭一人で郁真を止めるのは絶対に無理だ。ナイフのスピードに対応しきれない上に、反撃するとこちらもダメージを食らうというのはやはり厄介だ。足の速さと反射神経には自信があるが、それとこれとはやはり話が別になってしまう。
 この場合、誰に頼るのが正解か。出来れば誰も怪我をすることもなく郁真を説得できて、丸く収められる方法。

「……ゆりっぺ、だよなー……」

 どう考えても、他に思いつかない。憂凛と郁真の間に何があって、そしてどこかで恭を知って、その結果何故恭がこうして狙われていることになっているのか、全く理解は出来ないが。しかしこれはもう、憂凛に話を聞くしかないだろう。しかしそうなるとやはり、昨日と今日の出来事を憂凛に話さなければならない。怒るのが目に見えているが、このまま言わずにいても露見したときに怒られるのは分かっている。
 さて、どうしたものか。考えることが多すぎて、頭がパンクしそうだ。このまま一人で考えていても仕方がない。なるようになると思いたいが、世の中そう上手くはいかない。
 ぼんやりと天井を見上げる。自分の馬鹿さ加減が嫌になる。もっとしっかりしなければ。
 ――もっと、大人にならなければ。


 こんこん、とノックの音がして、はっと意識が戻る。走り回った疲労と怪我の影響も手伝って、知らず眠ってしまっていたらしい。慌てて跳ね起きて恐る恐る扉を開いてみる。

「やっほ、恭ちゃん」
「……あれ? 芹ちゃん?」
「茅嶋くんのこと激おこさせたってー? お馬鹿ちゃんだねえ」

 扉の向こうにいたのは、律ではなく――月城 芹。律の幼馴染である白石 悠時の恋人である彼女が、どうしてここにいるのかが分からずに目を瞬かせる。部屋には芹の姿しか見当たらない。律は出掛けたのだろうか。

「……あれ?」
「茅嶋くんはねえ、悠時さんのとこだよー。茅嶋くんから電話あってねえ、ちょっと愚痴りたいから悠時さん貸してーって言われて、ついでにその間恭ちゃんのこと見張っててー、って頼まれたの」
「……みはり。芹ちゃんが。」
「そ、見張り」

 付き合いが長い悠時相手であれば、律も色々と話がしやすいということだろう。恭にあまり何も言わなかった分、今頃悠時に言いたい放題言っている可能性はある。言うだけ言ってすっきりしたら、少しくらいは話してもらえるだろうか。帰ってきたら土下座でも何でもしよう、と心に決める。あのままの状態では居たくない。

「さあて。恭ちゃんてば何をやらかしたのかな? おねーさんに話してみーなさいっ」
「……芹ちゃんにも怒られそうでやだー……」
「まああの茅嶋くんがマジギレしてたもんねえ」
「りっちゃんさん結構よく怒るっすよ」
「あーれは、いつもの怒り方と違うくなーい? あんなひっくい声の茅嶋くん初めて見たよ? って言っても、芹はまだ付き合い浅いからかもだけど」

 そう言って茶化すように芹は笑うが、全くもってその通りだ。律が恭に対して怒るとき、口が悪くなることは多いが、低い声で淡々と話す律の姿は初めて見た。
 洗面所を出て芹と2人、テーブルの前に座る。芹はコンビニで色々とおやつやジュースを買ってきてくれていて、何でもどうぞ、と差し出された。よくよく考えれば朝から食事もしていない。食べる気分ではないが、何も食べないのは体に悪い。
 おやつを食べながら、ジュースを飲みながら。つっかえつっかえ、昨日今日の出来事を芹に説明する。適当に相槌を打ちながら、何も言わずに芹は恭の話を聞いてくれていた。話していると自分の馬鹿さ加減が本当に嫌になってしまう。

「……まー、そりゃ茅嶋くんもキレるよねえ……。生きてて良かったねえ、恭ちゃん」
「……ハイ……」
「ちゃんと茅嶋くんにごめんなさい! ってした?」
「したっす……けど、りっちゃんさん俺と話す気ゼロで……」
「あのね、恭ちゃん。茅嶋くん、芹が来た時、顔色真っ青だったよ」
「え?」
「恭ちゃんに寝るって言ったところで寝れなかっただろうし、ほんっとに恭ちゃんのことすっごくすっごく心配しただろうし、探し出す為にちょっと無理もしたんじゃないかなあ。『カミ』の領域吹っ飛ばしたってことは、それだけでもだいぶ体力持っていかれちゃっただろうしねえ」

 そういう魔術使うのって確かすっごく体力使うんだよねえ、と芹は続けながらポテトチップスを摘まむ。――あの時、暗闇が突然明るくなって元の風景が戻ってきて、そして律の姿が現れた。何をどうしたのか恭には全く分からなかったが、確かにあの状況で恭を探し出すのは難しかった筈だ。

「それにね、恭ちゃん」
「はい?」
「茅嶋くんにひとりで『ウィザード』のお仕事して欲しくない、って気持ちは芹にも分かるよ。でもだからって、恭ちゃんが茅嶋くんの真似してそういうことするのは絶対にだめ。それじゃあ茅嶋くんと一緒でしょ? 茅嶋くんのアレは性格だから、そんなことしたところで直らないし、そもそも自分がそんなことしてる自覚ぜーったいないからね」
「……あ、そか……」
「茅嶋くんがひとりでお仕事することにやきもきするから茅嶋くんに言わない! は別にいいと思うけど、ひとりでやっちゃおうとするのは頂けないなあ。恭ちゃんにはお友達だってたくさんいるし、何なら芹のことだって頼ってくれていいんだよ?」
「……芹ちゃん」

 ね?と、優しく笑ってくれる芹に、泣きそうになる。分かっている、頼れる人は多くいる。律がいて、憂凛も渚も、『此方』の友人もいる。芹もこうして言ってくれる、『分体』も『アリス』もいる。一人で突っ走って慌てる必要など、どこにもない。
郁真の正体が分かったところで、それだけでどうにかなるようなことではないということに、もっと早く気がつくべきだったのだ。考えるのが苦手だからと、考えるのをやめてしまっては何の意味もない。『分体』は止めてくれた、李湯はまず一人で行動するなと注意してくれていた。渚も色々と調べてくれている。その気持ちを無駄にしたのは、自分だ。

「……俺、もう一回ちゃんとりっちゃんさんにごめんなさいって、する」
「ん。恭ちゃんいい子いい子」
「許してくれるかな……」
「大丈夫だよ。茅嶋くんてばいい男だからねえ」

 そう言って恭の頭を撫でる芹の手がとても優しくて。零れそうになった涙を、ぐっと堪えた。

 謝ると決めてはいたものの、そのまま律は帰ってこなかった。悠時と話している間にバイトに行く時間になったとのことで、律を見送った悠時がその足で律の家へとやってきた。焼肉でも食いに行くか、という明るい誘いで、あまり食べられなかったもののその日は焼肉をご馳走になった。元気がないとこれほど食欲がなくなるのか、と我ながら笑ってしまう。

「あ、恭。お前今日うち泊まってけ」
「へ?」
「りっちゃんに一人でいるなって言われてるんだろ。夜中にお前が一人で何かあったら困るしな」
「……うす」
「あ、じゃあ芹も今日は悠時さんの家泊まっちゃおっと」

 それはカップルのお邪魔をしてしまうんじゃないだろうか、と考えたのは黙っておいた。それで悠時の誘いを断ればまた怒られるのは目に見えている。遠慮なく甘えた方がいいのだろう。
 悠時は律と二人で何を話したのかは教えてくれなかった。男同士の秘密、と笑う悠時がいつもと変わりなく接してくれることにほっとする。あまり詳しく聞く気にもなれなかったが――悪いのは自分だということは分かっているので。
 さてそろそろ寝ようという段階になって、渚から連絡がきた。

【宮内の件
 多分憂凛のストーカーみたいなもん 憂凛のクラスメイトの男子生徒が何人か突然喧嘩売られて殴られてる
 学年トップで成績はいいけど、謹慎処分受けてるくらいには問題児】
「まじかー……」

 思いがけない言葉に面食らってしまう。それならば一方的に恭が狙われているのも、分からなくはない。
 しかし、クラスメイトに関してはただ『殴られる』という被害だ。恭の場合は本気で殺されかけている。素手ではなく、ナイフ。嫌いだからと言われたのは、憂凛と仲が良いからだろうか。憂凛と一緒にいるだけで郁真としては気に食わないのかもしれない。しかしそれならばやはり、渚の方が狙われてもおかしくはない筈だ。

【何で松崎先輩は狙われてないんすかー】
【知るか】
【てか何でおれ?】

 恭の疑問に、返事はなかなか返ってこない。待っている間にうとうとと睡魔が襲ってくる。普段から早寝早起きの生活をしている恭は、どうにも夜に弱い。
 隣の部屋で悠時と芹が何か話している声がする。何の話をしているのかふと気になったものの、会話の内容までは聞こえない。カップルの会話を聞くのもデリカシーがないだろう、と意識から締め出して。
 渚からの返事は返ってこない。既読もつかないようなので、寝てしまったのか、或いはほかのことをしているのか。どうして渚ではなく恭が狙われているかなど、渚に聞いたところで、というのはあるかもしれない。こればかりは郁真が教えてくれない限り、何を思いついたところでそれが正解かどうかなど分からないのだから。
 早く解決してしまいたい。しかし、焦って今日のようなことをしてはいけない。憂凛に話してみるかどうかを含めて、一度渚にきちんと相談した方がいいだろう。そこまで考えて、一瞬意識が飛ぶ。眠い。
 転寝はしていたものの、今日は妙に眠い。慣れない考え事をしていたり、怪我をしているのもあって、やはり体が疲れきっているのだろう。いつもの疲労とは全く違う。
 ゆっくり眠って、体調を戻さなければ。そして明日、きちんと律に謝るのだ――と再度決意する。明日は大晦日、年を越すならすっきり年越ししたい。年が明ければ憂凛や渚と出掛ける予定もある。郁真のことは解決しなければいけないことだが、恭一人ではどうにもできない。これ以上考えたところでまた暴走してしまうだけであることが目に見えている。
 ちゃんと助けてもらおう。そう心に決めて、恭は目を閉じた。


 翌朝。恭が目を覚ます時間はどうやら早すぎたようで、悠時も芹もまだ寝ているようだった。時間を確認すると、6時半を少し回ったところだ。そろそろ律も仕事が終わって帰ってきている時間だろう。
 どちらにしろ、律の家に帰るのであれば悠時か芹に一緒に居てもらう必要はある。二人に迷惑を掛けてしまうことを考えるとやはり一人で出歩けない、というのは不便だ。出来れば『アリス』と一緒になら行動してもいいと言ってほしいところではあるが、恐らく却下される。
 兎にも角にも悠時か芹が起きるまで、することがない。ゲームくらい持ってきたらよかった、と思ったが、昨日の自分にそんな余裕はなかったので仕方がない。

「どうしようぶんちゃん、めっちゃ暇」
『二度寝したらええやん。今日はどうせカウントダウンまで起きてるんやろ?』
「……ショージキ腹減っててそんな寝れる気がしない」
『昨日あんまり食うてへんもんな、恭にしては』
「ん-」

 一晩寝れば随分と落ち着いたものだ。ぐぐ、と伸びをして、ゆっくりと息を吐きだして。腕の怪我の状態を確認しようと包帯を解いてガーゼを取れば、傷口は綺麗に塞がっていた。寝ている間にかなり回復は進んだらしい。軽く腕を振ってみるとずきりとした痛みが走ったので、完全に治っているわけではないようだ。あまり無理をしない方がいいだろう。
 二度寝をしようにも眠くはない。ジョギングに出る訳にもいかないので、軽い筋トレくらいなら、と決めて。ストレッチをしてから腹筋、背筋、スクワット。腕立て伏せをしようと床に手をつけばさすがに体重を支えるのはかなりの痛みを伴ったので、こればかりは片腕でやるしかない。

「……何やってんだ恭?」
「お、悠時さん! おはよーございまーす」
「こんな時間から筋トレって元気だなおめーは……。怪我どうだ?大丈夫か?」
「まだ痛むっすけど、見た目はすっかり」
「そっか。じゃあ安心だな」

 悠時が起きてきたのは7時過ぎ。筋トレ中の恭に目を丸くした悠時はしかし、恭が見せた腕に安心したように笑う。通常一晩で治るような怪我ではないことは悠時もわかっているはずだ。恭が『変身』している最中に負った傷であることと、律が魔術をかけてくれたからこそ、この程度で済んでいる。

「朝飯食うか? りっちゃんほど美味いメシは作れねえけど」
「俺は食えたら何でも!」
「だろうな」
「あ、芹ちゃんは?」
「朝の芹は起きるまで時間かかるぞー」

 どうやら起きることは期待しない方がよさそうだ。何となく察知してははー、と笑う恭を背にキッチンに向かって欠伸をしながら朝食の用意をしつつ、悠時が口を開く。

「りっちゃんからメール来てたぞ。さっき職場出たから今から迎えに来るってよ」
「え」
「ちゃんと話せよ、おめーら」
「……うす」

 迎えに来てもらえるとは思っていなかったので、少し心臓がばくばくと音を立てている。律はまだ怒っているだろうか。何から話せばいいだろうか。とりあえず謝ることしか出来ないが、それから何を話せるだろうか。考えても分からない。結局許してもらえるまで謝るしか、恭にはできないだろう。
 ぐるぐると考えていると、悠時が白米とインスタントの味噌汁を持ってきてくれた。芹はまだ起きてこないが気にしないことにして、二人で手を合わせて黙々と朝食を食べ始める。悠時は恭の方を見ないが、何となく気にしてくれていることは分かる。

「昨日な」
「はいっ!?」
「何だその反応」
「いや、話しかけられると思ってなくて!何すか?」
「んや、昨日りっちゃん、すっげえ恭のこと心配してたからさ。……あんま心配かけんなよー、お前に何かあったらりっちゃん死んじまうぞアレ」
「……そんなに心配されてんすか、俺」
「当たり前だろうが」
「……ねえ悠時さん、昨日りっちゃんさんとどんな話してたんすか?」
「それはおめーには教えてやんねえよ」

 にい、と笑った悠時は、そのままぐしゃぐしゃと恭の頭を撫でる。子供扱いされているなと膨れたくなったものの、反論できないので大人しく撫でられておく。
 もっと大人になれたら。もっと強くて、もっと頼れる人間になれたら。しかし、そんなものはきっとなろうと思ってもなれるものではないのだろう。焦らずにちゃんとゆっくり、色々なことを考えていかなければならない。
 ――でなければこのままずっと、いつまでも、律に姉のことを聞けないままだ。
 朝食を食べ終わる頃、ぴんぽんとインターホンの音がした。瞬間体が固まってしまった恭を見ておかしそうに悠時が笑って、はいはーい、と軽い返事をしながら玄関に向かう。がちゃり、と扉が開く音。

「おうりっちゃん。お疲れさん」
「おはよー……ねむい……頭イタイ……」
「……おめーかなり呑んでんな?」
「仕事終わりそのまんま忘年会……ビール大ジョッキ一気呑みとか何回もやることじゃないでしょ馬鹿じゃないの死ぬ……」
「……吐くなよ?」
「吐かないよ……」

 悠時と話している律の声は、疲れてはいるがいつも通りに聞こえる。自然と姿勢を正して正座してしまったのは無意識だ。少し玄関で話した後、不意に会話が途切れた。

「恭くん何してんの? 帰るよ?」
「へ」
「何その間抜けな顔」

 悠時の向こうから顔を覗かせて恭を見た律が、きょとんとした表情で恭を見ている。きょとんとしたいのはこちらだ、と恭は目を瞬かせた。何故そんなに普通なのか。怒っていないのかと思ったが、しかし絶対に怒っているはずだ。一晩経って落ち着いたのだろうか。

「子守ありがとうね、悠時。ごめん、ご迷惑おかけしました」
「おーおー。気にすんな、りっちゃんの面倒見慣れてるしな」
「……重ね重ねスイマセンね……芹ちゃんにもお礼言っといて。今度お礼させてね」
「お、言っとく」
「ほら恭、帰る用意しろー。それともうちで年越しすっか?」
「いやいや!? これ以上カップルのお邪魔しないっすよ!」
「俺は別にいいけどな」
「……いや、芹ちゃんが怒ると思うよ、悠時」
「そうか?」

 訳が分からない。頭の中に大量に浮かぶクエスチョンマークはひとまず無視して、恭は慌てて立ち上がる。コートを着て、スマートフォンはポケットに入れて。

「えと、悠時さん、晩ごはんも朝ごはんもごちそーさまでした! てか色々ありがとうございました」
「ん。またな、恭。良いお年を」
「良いお年を! あ、芹ちゃんにもお礼」
「気にすんな、言っとく」

 話を聞いてくれた芹にはきちんとお礼をしたいが、まだまだ起きそうにはないようだ。いつも通りに笑ってくれた悠時に頭を下げて、恭は律と二人で悠時の家を出る。
 悠時の家から律の家までは、徒歩15分程度の道のりだ。歩いて帰るつもりでいるらしい律の半歩後ろを歩きながらその表情を伺ってみれば、眠そうな表情をしていて。

「あの、りっちゃんさん」
「んー?」
「……昨日、あの、」
「ああ。充分反省したみたいで何より」
「……ほんっとに、すいませんでした」
「恭くんの気持ちは分かんなくもないし、ホントにもういいよ。……但し」

 足を止めて。振り返って恭を真っ直ぐに見た律は、真剣な表情をしていた。

「次はないからね」
「……はい。」