My Variegated Days

04

「柳川くん。柳川くーん、分かる?」
「……っ!?」
「はいオハヨウ」

 恭が目を覚ますと、そこは病院だった。先ほどまで電車の中に居たはずで、どうして病院にいるのかが分からない。意味が分からずに、恭は首を傾げる。

「……琴葉せんせー?」
「ちょっと久し振りね。アリスちゃんが柳川くん連れてきてくれたんだけど、何があったか覚えてる?」

 くるくる。回る椅子に腰掛けて、恭を見ながらボールペンを回している一人の女性。鹿屋 琴葉――喫茶『たちばな』の常連の『ヒーラー』で、普段は医師として働いている。知り合ってからは何だかんだとよく治療をしてもらっている間柄ではあるのだが。
 何故今、琴葉のところに自分がいるのか。『アリス』がここに運んできた理由がすぐに思い出せずに考え込んで。

「あー! 思い出した!」
「……やっぱり忘れてたの。どうしたの? 怪我してたけど、腕」
「俺電車で変な子に襲われたんすよ!」
「変な子?」
「電車が急に真っ暗になって、俺とその変な子しかいなくなっちゃってて!いきなりナイフで切りかかってきたんすよちょーこええ! 死ね死ね言うし! こわい!」
「そりゃあ怖いね。それで? 誰に襲われたの? 知ってる子?」
「違うっす。でも後輩なのかなー。俺のことセンパイって呼んでたし。……名前、名前、えっと、く……くどう……?」
「ぶんちゃーん」
『宮内 郁真やー言うてたやろアホ恭! お前どこまでアホやねん!?』
「わっびっくりしたあ!?」

 恭のポケットの中でスマートフォンが叫んだ。琴葉は完全に呆れた顔をして恭を眺めている。最初から『分体』に話を聞いてくれればいいのに、と口を尖らせたものの、恐らく琴葉は既に話は聞いているのだろう。デスクの上に置かれたスポーツバックについているチェシャ猫のキーホルダーに目を向ける。『アリス』に迷惑を掛けたのは本当に申し訳ない。『分体』もいるのだ、どうにかこうにか琴葉と連絡を取ってここまで連れてきてくれたのだろう。
 しかし、いくら考えても恭ではどうやってここまで来たのか想像がつかない。あの電車からどうやって脱出したのかも分からない。全く記憶がないというのはなかなかに怖いな、とぼんやり思う。

「……ねえねえぶんちゃん電車代って」
『電車代やったら恭のICカードのログちょちょいと弄って適当にやっといたで』
「ちゃんと減らした? 減らした?」
『ふふん。そのまんまや!』
「はあ!? タダ乗りじゃんそれ絶対ダメだから! 今からでもちゃんと減らして!?」
「君たちうるさい、ここ病院。割増料金せしめられたくなかったらちょっと黙ってくれる?」
「はい」
『ハイ』

 ――とはいえ、琴葉から治療費を取られたことはない。その代わりに何度か危険のない仕事の手伝いはしている。対価は体で支払え、ということだ。
 騒ぎはしたものの、『アリス』は『彼岸』だ。人に見つからないように電車を降りる方法は何かしらあっただろう。喚のが遅い、と怒られてしまったが、恭としては『アリス』をあまり戦わせたくはない。『彼岸』であれ何であれ、恭にとって『アリス』は『女の子』だ。頼りにはしているが、だからといって頼るのは出来れば最終手段にしておきたい。どうしようもなくなった時以外はなるべく喚ばないようにしたい、というのが恭の方針だ。

「で? その宮内 郁真くん? 何者? 何もないのにいきなり柳川くんのことを襲ったりなんてしないでしょう」
「初めまして、って言われたし、俺ほんっと全然記憶にないっすよー。マジでいきなり襲われたっす。でも多分『彼方』さんなのは間違いなさそうなんすよねえ……変な術使えるっぽくて」
「へえ。どんな?」
「向こうの足蹴飛ばしたら俺の足痛くなっちゃって」
「……へえ?」

 琴葉が目を細めて恭の足へと視線を向ける。あれだけ痛かった足首には、既に痛みはない。足首も腕も、琴葉の治療がきちんと行き届いているということだろう。
 一瞬もしかしたら夢だったのかもしれない、と考えてはみたが、ざっくり切れて血のついたジャージが、夢ではなかったのだということを証明している。このジャージが律に見つかれば、また変なことに首を突っ込んで、と怒られそうだ。べっとりと血がついているので、どこかでひっかけて破いてしまったとは言いがたい。それにこのジャージが破れているということは、上に着ていたコートも切れてしまっているだろう。下手に誤魔化すよりは、正直に律に話して修繕してもらった方がよさそうだ。

「……多分ねえ、柳川くん。それ、『シャーマン』よ」
「しゃーまん?」
「そう。『シャーマン』の持つ能力の一つに、『ドール』って呼ばれるものがあってね。自分が攻撃してるタイミングで何かしらの反撃を喰らったら、そのダメージをそのまま相手にも飛ばすことが出来るちょっとめんどくさい技があるのよ」
「……うん?」
「柳川くんはその宮内くんとやらに反撃したんじゃない? どういう感じで足蹴飛ばしたの?」
「えーっと、ナイフで切られそうになって、避けて、間合い飛び込んで、手押さえて、んで足蹴っ飛ばした、はず?」
「ふーん。……うん、その状況なら『シャーマン』はダメージを飛ばせるわね。……まったく、敵に回すとめんどくさいのよねえ」
「全然意味わかんねー」
「ま、一定の条件が揃えば、自分が受けたダメージをお前も喰らえ! って吹っ飛ばせる、ってことね」

 やたらと面倒な存在に絡まれてしまったらしい、ということだけは分かって、恭は眉を寄せた。しかしやはりどうして絡まれたのか意味が分からない。殺されなければならない理由も分からない。

「……郁真くん、アリスちゃんから逃げたんすよね……」
「まあそうでしょうね。どうやって逃げたのかは知らないけど」
「うーん……」
「まあでも状況を考えると間違いなく他の『彼岸』の干渉があったせいだと思うけど」
「え、何でそんなこと分かるんすか?」
「たかだかイチ『シャーマン』如きに電車ごと空間を切り離す、だなんて離れ業が出来る訳がないでしょう。柳川くんの意識が吹っ飛んだのも『彼岸』の干渉のひとつだと思う。その宮内くんとやら、何か『彼岸』を従えていると見た方がいいんじゃないかな」
「ほおー……?」

 琴葉の説明はほとんど理解は出来ないが、何かがいるのだろうということだけは分かる。恭が『分体』や『アリス』の力を借りているように、郁真も『彼岸』に力を借りている。何が何やらさっぱり分からないが、しかしそれ自体は何ら不思議なことではない。

「その宮内くんとやら、ちゃんと調べておいた方がいいんじゃない。多分また襲ってくるだろうし」
「うー……何か俺のこと殺す気満々だったっすー……初めましてなのにー……俺何かしたのかなあ……」
「君別に人の恨み買うようなタイプじゃないでしょ。渚じゃあるまいし」
「……松崎先輩ってそんなに恨み買ってんすか」
「あの子は人が気にしていることばっさり言い過ぎなのよ」

 琴葉の言葉に、恭は思わず苦笑う。渚は悪い人間ではないのだが、何せ口が悪いのだ。頭もいいので、切り返しが早い。1言えば10返ってくるのが常なので、確かに嫌われやすい人なのだろうな、とは思う。
 溜め息ひとつ。スマートフォンに視線を向ければ、ぴょんと飛び出してくる白いもやもや。

『ちなみにお前の高校の名簿にはそんな名前あらへんかったぞ』
「じゃあ後輩じゃないじゃん。知らない子じゃん。何で俺のこと知ってんの……」
「ま、調べるなら渚に相談しなさい。あの子は調査は専門分野だし。……ああ、憂凛には黙っておきなさいよ」
「へ? 何で?」
「君が怪我させられたって聞いて一番怒るのが憂凛だからに決まってるでしょ。……怒ったあの子が怖いの、知ってるでしょうが」

 琴葉にそう言われて、ああ……と口から声が漏れた。何度か本気で怒った憂凛を見たことがあるが、本当に怖い。狐の尻尾を振るった一瞬で色々なものが吹っ飛んでいってしまう。絶対に怒らせてはいけない。
 となれば、これは琴葉の言う通り渚に相談した方がいいだろう。今朝言われた『人喰狐』のことも気にかかる。もう少し何か話が聞くことができるかもしれない。

「あ、柳川くん。私は大体出勤してるけど、年末年始は一応病院おやすみなんだからあんまり怪我しないようにしなさいよ」
「あっ」


『襲われたあ?お前が?』
「うす」

 実家に帰るのは諦めて律の家に戻ると、律は不在だった。バーに仕事に行くにはまだ早い時間だ。カレンダーを確認すると21時出勤と書かれていたので、どこかで『ウィザード』として仕事をしているのだろうことは想像がつく。
 ひとまず切り裂かれたコートとジャージは脱いで着替えて、恭は渚に電話をかけていた。電話の向こうの渚は眠そうで不機嫌な声をしている。そういえばこの人徹夜してたな、ということを思い出して、寝ていたのかもしれないと思うと申し訳なくなる。
 とはいえ既に電話はかけてしまった後なので、郁真との件をどうにかこうにか説明する。付け足すように琴葉に渚に相談しろと言われたことも言っておく。返事は盛大な舌打ちだった。

「何でうちの生徒じゃないのに俺のこと知ってんすかねえ」
『陸上関係は当たったのか? 他校の生徒でも陸上部ならお前のこと知ってても不思議じゃねえし』
「へ?」
『……あのな。今お前部長だろ。挙句にインハイ入賞選手とくりゃ陸上関係じゃそれなりに有名人だよ、お前は』
「あー……そうだった、陸上かもと思ったの忘れてた……。じゃあやっぱそっちも当たってみなきゃっすねえ……」
『ん。……にしても宮内 郁真、な。まあ俺の方でも調べといてやるよ。お前に何かあると馬鹿狐がうるせえし』
「うす。ありがとうございます! あ、狐といや、松崎先輩に聞きたいことあるんすけど」
『あ? 何だよ』
「松崎先輩ってどこで『人喰狐』の噂聞いたんすか?」

 電話の向こうで、少しだけ渚が黙り込んだ。一瞬聞いてはいけなかったのかと思ったが、溜め息の後で返事は返ってきた。

『……知り合いの教授がそういうの好きな人なんだよ。それで聞いた』
「ああ、大学関係だったんすか。今日琴葉先生にも聞いてみたら知らないっつってたんで、誰に聞いたんだろうと思って」
『ああ、やっぱ琴葉先生も知らねえのか』
「やっぱ?」
『結構調べたんだけどな、この件。どうもその噂、『此方』の人間の耳に入らないように回ってるっぽくてな』

 俺の耳に入ったのは偶然だよ、と渚は続ける。意味が分からない。耳に入らないように、と言ってもなかなか難しい筈で、どんな噂の回り方をしているのか想像がつかない。しかし恐らく、耳に入ったら困る、ということだろう。聞いてしまえば、調べる人間は多くいる。
 渚もそうであるように、恭も聞いてしまえば気になる。律も話を聞けばとりあえずは調べるだろう。『狐』のことであればそちらの関係も動く、恭が知っている『此方』の人間もそんな噂を聞けばすぐに動き出しそうな人物には何人か心当たりもある。
 しかし、どうやったらそうして耳に入らないように噂を回すなどということが出来るのか。それが出来るとしたら、噂の大元は何なのか。全く想像がつかない。

『まあそっちの件はお前が気にすんな。あんま人が動くと噂の出処にバレるだろうしな。お前はとにかくその宮内 郁真とやら、また襲われた時に何とか出来るようにちゃんと対策立てろ』
「うす」
『あとちゃんと茅嶋さんに報告しろよ』
「えー……」
『……お前本当に茅嶋さんに言うの嫌がるよな』

 そう言う渚の声は呆れてはいるが、しかし恭が何故律に報告したがらないのか、その理由は知っている。そのためなのか、あまりうるさく言われたことはない。
 ――律は、何でも一人でやってしまう。そういう人間だからこそ。
 しかし、今回の件はやはり報告しない訳にはいかない。コートとジャージも修繕してもらいたい。考えると郁真に対する怒りが湧いてきて、今度会ったら頭でもひっぱたいてやろう、と決意する。こちらには何かをした覚えもないのに、初対面から殺されかけるのはあまりにも物騒すぎる。

『柳川』
「はい?」
『あんま怪我すんなよ』
「……うっす」


 それから1時間ほどして、律は家に帰ってきた。パスタとサラダを2人で食べながら、恭は律に郁真との出来事を説明する。恭の話を険しい表情で聞いていた律は、恭の怪我が治療されていることを確認してから大きな溜め息を吐いた。

「……まーた俺に黙って変な事件に首突っ込んでんじゃあなくて?」
「違うし! マジでいきなり襲われたっす」
「うーん……恭くん殺そうとして何のメリットがあるんだろう……」
「俺にはさっぱり分かんないっすよ、マジ痛かった……。ってか『シャーマン』ってめんどくさいんすねえ」
「一定の条件が揃ってる攻撃にはダメージそのまま返してくるやつ? アイツらが厄介なのってそれだけじゃないよ」
「えっ」
「更に条件が揃ってれば怪我の治療とかするし、受けたダメージを精神的ダメージに換算して吹っかけてきたりするからね」
「……はい! 意味が分かりません!」
「俺が敵に回したくない相手第一位」
「うわあ」

 律が敵に回したくないというなら相当だろう。とはいえ、『彼方』が相手であれば、敵対することがあれば律は戦うのだろうが。それが律の仕事だということは、もう重々承知している。
 恐らく律の頭の中には、『此方』のことも『彼方』のことも全て入っているのだろう。恭もきちんと覚えた方がいいのだろうということは分かっているが、なかなか覚えられないままだ。いざ戦うとなった際に相手のことを全然知らないということはやはり危険だということは、今回のことでもよく分かる。いつもは隣に誰かがいてくれることが多いが、今回は完全に一人で誰も頼れなかった。一人でも相手を見極められるようになっていれば、もう少し対処のしようがあるのかもしれない。
 事件に首を突っ込んでも怒られなくなる程度には、なりたいとは思っている。いつかは律に頼ってもらえるように、頑張らなければ。
 ――きっと姉なら。一瞬だけそう思って、止める。

「何が原因か分からないし、まずはその子の素性を調べた方がいいだろうね。宮内くん?」
「そうっす。みやうちー、ならともかくくない、って読み方的にそんなよくある名前じゃない気がするし、松崎先輩にも陸上関係で調べてみろって言われたんで、ぶんちゃんに頼んで今探してもらってるんすけど」
「冬休みだから部活帰りでもない限りは制服じゃないし、学校の割り出しからだもんね」
「でも俺のことを先輩って呼んでたから多分1年だろうし、この辺の高校の陸上部だったら探すのにそんなには時間かかんないと思うんすけどね……」

 しかし、恭が頼んでからそれなりに時間が経っているが、『分体』から見つけた、という報告はない。渚の読みだ、さほど遠くはないとは思うのだが、こればかりはどうにもならない。心当たりを当たり続けるしかないだろう。

「……俺のせいじゃなきゃいいんだけど」
「へ?」
「何でもない。……いけない、仕事行かなきゃ。ご馳走様でした」

 ふと時計を見て、慌てて律が立ち上がる。21時出勤の時は、律が家を出るのは大体20時過ぎだ。今は19時半――まだ全く仕事へ行く用意をしていない状況なので、慌てても無理はない。
 対する恭は、もぐもぐと呑気にパスタを食べながら。律には『人喰狐』の方の話は黙っておこう、とぼんやり思う。『此方』の耳に入らないように噂が回っているということは、律は知らない筈だ。渚も、耳に入ったのはたまたまだと言っていた。郁真のことは言ってしまった手前、力も借りたいところではある。

「そうだりっちゃんさん」
「ん?」
「その郁真くんに切られたせいでコートとジャージがぱっくりなんすけど……」
「あー……明日直してあげるよ。コートないと困るでしょ」
「そうなんすよー……うう……俺が一生懸命小遣い貯めて買ったダッフル……」

 恭の小遣いの額は然程多くはない。実家から高校に通っていれば定期代になったであろう金額で、その金額をどうにかこうにかやりくりして買ったコートだ。恭としてはそれなりの値段だったので、やはりこのまま着ることが出来なくなるのは困る。

「コートの分も仕返ししないといけないね。ぶんちゃんと渚くんが調べてくれてるならそっちの方が早そうだけど、俺も一応当たってみるよ」
「スイマセン……」
「恭くんは暫くはあんまり一人で出歩かないように」
「えー!?」
「だってそれまた襲われるでしょ、間違いなく」
「う……そうっすよね……」

 琴葉もそんなことを言っていた。嫌だな、とは思うが、思ったところでどうにもならない。何か対策を考える必要はありそうだな、と思う。しかしどちらにしろ実家に帰るときは一人になってしまう。そうなると年明けまでに解決するのが一番だが、今日は12月29日。あと2日で解決するのは完全に無理があるだろう。
 考えていると頭がぷすぷすと音を立てているような気がして、恭は溜め息を吐いた。考えるのは、苦手だ。

「寝て忘れるっす……」
「いや忘れちゃダメだからね?」