My Variegated Days

03

「おはよ……って待って待って何で恭ちゃん来てるの!? 憂凛パジャマなのに!」
「あ、おはよーゆりっぺ」
「着替え! 着替えてくるから! ちょっと待って! 見ないで!」

 十数分後。住居である2階からふらりと下りてきた憂凛は、恭を見た瞬間に叫んで一瞬でいなくなった。その前に店舗へパジャマで来るのはどうかと思うのだが、気が抜けていたのだろう。
 一斗が笑っていたので、いつものことではあるのだろう。その手元には作りかけのサンドイッチがある。恐らく憂凛としてはちょっと朝食を取りに来た程度の感覚だったに違いない。
 着替えた憂凛と、嫌がる渚と3人。話そうとしたタイミングでちょうど憂凛にSNSで連絡がきた佑月も交えて、4人で出掛けよう、ということで話は落ち着いた。日付は年が明けてから。年が明ければ恭の部活が始まることもあり、自然と日程は絞られていった。

「んでー、どこ行く?」
「憂凛はねえ、やっぱり遊園地かな!」
「うん、俺もそういう系がいいと思ってた!」
「だよねえだよねえ!」
「……うっせーな……何処のだよ……」
「松崎先輩はどっか行きたいとこないんすか?」
「どっこも行きたくねえよめんどくせえ」
「じゃあ憂凛が行きたいところね!」
「ゆっちゃんは行きたいとこねーのかなあ」
「ゆづはねえ、どこでもいいよーってさっき返ってきてたよー」

 そうなってくると結局、出ている案は遊園地だけだ。近くにある遊園地を探して、ああでもないこうでもないと散々考えた結果、電車で1時間くらいのところにある少し大きめの遊園地に行くことになった。集合時間と場所を適当に決めて、昼前には恭は喫茶『たちばな』を出た。憂凛にお昼を一緒に食べようと誘われはしたものの、さすがに腹が減っていない。話してる最中に一斗がお菓子作ってくれて食べていたのが原因だろうと思っている。残念そうだったので、次の機会は一緒に昼食を食べられればいいのだが。
 帰りはさすがにジョギングして帰る気分にはなれなかった。人も多いので、走っても邪魔になるだろう。ついでに少し実家に顔を出すか、とふと思って、恭はその足で駅に向かった。電車に乗ればそんなに人は乗っておらず、のんびりしたものだ。一時間くらい電車に揺られることになるので、座ってられるのは嬉しい。スマートフォンにイヤホンを挿して、音楽を聴きながら。
 ――気にかかるのは。

「……『人喰狐』なあ……」

 聞いたことのない噂。渚は一体どこからその噂を仕入れたのか、それも気になるところだ。

『調べたろか?』

 不意に音楽の音量が下がって、耳に聞こえる声は『分体』のものだ。こういった反応は早い。

「んー。お願い」
『お、ちょっと待っとけ』

 渚は『人喰狐』の話を憂凛にはしなかった。恭にもあれ以上詳しくは教えてくれてはいないが、引っかかってはいるのだろう。やはり『狐』の案件であるからか、あまり憂凛を巻き込みたくないという気持ちもあるのかもしれない。何より、そんなものは存在しないかもしれないと言っていた。誰かが故意に流している噂。
 しかし、何故。その噂を流すことに、何の意味があるのか。
 恐らく律の耳に入れば何もなくとも調べる案件ではあるだろう。そしてそこに何があったとしても、恭に情報は下りてこない。律は徹底して自分の『ウィザード』としての仕事の話を現在進行形で恭に話すようなことはしないからだ。となるとこちらも黙って調べるしかない、という気持ちになってしまう。

『うーん。松崎の言う通りやな。そんなもんはこの界隈に存在してへん』
「カイワイ?」
『この辺にはおらんーいうことや』
「ほうほう」
『噂の内容もなんやえらいぼんやりやな。夜道歩いてたら狐に襲われるかもー、くらいの』
「姿とかは?」
『見た奴なんかおらんおらん。でも狐やー、言われとるから『人喰狐』て呼び名なんやろ』
「ふーん……?」

 どうしてわざわざ『狐』なのだろうか。
 そんな噂を流すのであれば、狐ではなくてもよいはずだ。狼や熊といったものの方が喰われそうだ、とも思う。何よりこんな都会に狐は存在しない――『半人』や『化生』のことはひとまず別として。
 人を襲う狐の『半妖』か『化物』でもいるのだろうか、とふと考える。しかし、狐であれば一斗が知らないとは思えない。

「実際被害とかないの?」
『出てへん。だから『人喰狐』自体がそもそもおらんて言うてるやろ』
「あ、そっか」

 これ以上のことは恭にはどう調べていいのか皆目見当もつかない。また渚に詳しく聞いてみる必要があるだろう。恐らくは憂凛がいないところで話した方が、まだ口を滑らせてくれそうだ。電話かSNSか、どちらにするか。
 そんなことを考えていると、不意に視界に影が差す。何だろうと思いながら顔を上げると、一人の少年がじっと恭を見下ろしていた。同い年――か、少し年下か。この車両は空いている、他にも座る場所がある筈だと思いながら視線を動かして、気付く。
 この車両にいるのは、恭とこの少年の2人だけ。
 さすがにおかしい。まだ日中で、それなりに乗客のいる路線で、恭と少年の2人しかいないということはさすがにないだろう。空いてはいたが、だからといってここまで人がいないということは考え難い。
 じっと恭を見下ろしていた少年は、不意に、笑う。楽しげに。

「……? えと、」
「やながわー、きょう、せんぱい」
「え」

 名前を呼ばれたことよりも、先輩、という呼び名に瞬く。後輩にこんな少年はいただろうか。
 ひとまずイヤホンを取って、少年に向き直る。聞いていた音楽が遠くなって、電車が揺られる音に紛れて消えていく。

「初めましてー。僕はー、宮内 郁真と申しますー」
「はあ、柳川 恭っす……、……えっと? 何か用っすか?」

 聞き覚えのない名前に、恭は眉を寄せる。同じ部内の後輩ではないが、大会で他の高校の控え選手だった可能性はある。それなりの成績は残しているので、一方的に名前を知られていても別段おかしな話ではない。

「あのー、突然、申し訳ないんですがー」
「……ハイ」
「死んでください」
「……は?」

 何と言われたのか分からずに、思わず聞き返した次の瞬間。
 がしゃん、と電車が大きな音を立て、一気に車両内が真っ暗になった。この路線は地下鉄ではないし、つい先刻までは確かに明るかった。電車の中の電気も消えてしまっている。
 一体何が起きたのか、理解が追い付かない。いや、分からないわけではない。これは間違いなく、襲われている。

『アホ、ぼーっとしとる場合か! 逃げろ!』
「えっ」

 突然スマートフォンから響き渡る『分体』の声。そのお陰で反応出来た。視界に映る、銀色の光は――ナイフ。

「う、ぉ……っ!?」
「あー。逃げちゃ駄目ですよー」
「いや逃げるよ普通!?」

 確実に怪我をするのが目に見えているのに、避けないわけにはいかない。痛い目には遭いたくない。
 こんな状況に陥るということは、郁真と名乗ったこの少年は『彼方』か『彼岸』だろうか。そして恭は今現在、電車に閉じ困られてしまったということだ。ただ実家に帰りたかっただけなのに、どうしてこうなるのか。どうやったら電車から抜け出せるのかが分からない。
 目が暗闇に慣れてきて、郁真の姿も辛うじて見える。ふらふら、ゆらゆら――動きは不規則だ。
 さて、この状況で『変身』してよいものか。突然元の状況に戻った場合、赤レンジャー姿に変身する恭は違和感しかない状態でこの場に存在することになる。律の耳に入れば一発で露見して怒られるのも目に見えているし、それを避けるにはここで『変身』せずに生身で戦うしかない。

「ほーら、おとなしくー、死んでくださいってー」
「いやいやいや無理無理!」

 ナイフが容赦なく襲ってくる。ナイフを奪うか叩き落とすか。これさえなければ少しくらい話せるのではないか。やってみないと分からないが、やらなければどちらにしろそのうち刺されてしまう。
 覚悟を決めて、呼吸を整える。集中。ナイフが閃いたその一瞬で間合いに飛び込んで、ナイフを持った手を押さえこんで。そのまま足払いをかけた、その瞬間だった。

「いっ……!?」
「いったいなあ、何するんですかー」
「……、いっ、て……」

 恭は確かに郁真の足首を蹴った。しかし、同じように蹴られたような痛みが恭の足首に走る。思いがけないことに手を放してしまったのは不可抗力だ。郁真は何もしていない。恭から離れて、ぶつぶつ文句を言いながら恭が蹴り飛ばした足首を気にしている。
 間違えて自分の足を蹴った、などという馬鹿なことはない。恭が足払いを掛けたのは郁真の右足首で、恭が痛みを感じたのも右足首。相手に与えたダメージが、そのまま自分に返ってきているかのような。『此方』か『彼方』でそんな術を使えるものがあった気がするが、全く思い出せない。律や渚なら郁真が何者なのかを見抜けるのだろうが、その辺りの感覚が鈍い恭ではどうしようもない。

「手間かけさせないでー、とっととー、死んでくださいよー?」
「いっ……!?」

 考えていたせいで反応が遅れた。ざっくりと腕を切られて血が跳ねる。『変身』もしていないこの状況では、どうすることも出来ない。
 やりたくはないが、この状況だ。仕方ない、と腹を括って。

「アリスちゃんへるぷっ!」
「お馬鹿、喚ぶのが遅いわよ!」

 恭が叫ぶと同時。ふわりとどこからともなく現れる女子高生――『アリス』。あっさりと郁真を押さえこんでナイフを吹き飛ばした『アリス』を確認しつつ、恭はその場に尻もちをつくようにして座り込んだ。
 傷としては掠っただけとも言えるが、だらだらと血が溢れている。手で押さえても痛みが引くわけではない。

「えー。『カミサマ』使うとかー。卑怯ですよー柳川先輩ー」
「……いや、いきなり襲ってくるのも、卑怯だと、思うけど……?」
「やれやれ、ですねー。じゃあ今日のところは、引き上げるとしますかー」
「私のお気に入りの子を傷つけておいて、逃げられると思っているの?」
「こわいこわい。逃げますよー」

『アリス』に押さえつけられたまま。けれど余裕の笑みを浮かべて、郁真は言う。――何かある。『彼岸』を相手にしていても余裕でいられる、何か。
 聞こえたのは、口笛の音。直後、ぐら、と視界が揺れた。

「恭くん!?」
「あ……?」

 心臓がばくばくと音を立てる。ぐらぐら、ぐらぐら。視界が揺れてる。気分が悪い。倒れる。意識が、遠のく。

「また殺しに来ますね、やーながーわせーんぱいっ」
「……な、に……」

 郁真の楽しそうな笑い声。その声を聞きながら――恭の意識は、落ちた。