One Last P"l/r"aying

28

 それから2年後、11月末。
 律は結婚式に参列するために、立て込んでいた仕事を片付けてヨーロッパから日本へと戻ってきていた。
 茅嶋家の『ウィザード』としての当主は変わらず雪乃のままだが、現在律は跡継ぎとして世界各地の色々な場所に連れ回されている。1年のうち日本にいるのはトータルすると3ヶ月程度だったような気がしてしまう。まだまだやらなければならない仕事は残っているが、雪乃の「早く帰らないと間に合わないだろう」と怒られ、それに甘えて戻ってきた形だ。

「あー。律さんやっと来た。遅いっすよー!」
「ごめんごめん。飛行機ちょっと遅れちゃって」

 結婚式場の入り口にある喫煙所で煙草を吸っていた恭が、律の姿を見つけて笑顔でぶんぶんと手を振る。2年が経って二十歳になった恭は高校生の頃とそれほど変わりないが、玲が吸っていた煙草を吸うようになった。最初は慣れずにむせながら、といった感じではあったのだが、会うたびに様になっている。何故吸いたいのかと聞けば「姉貴のまねっこなだけっすよ」と恭は笑っていた。中学生の頃から、玲が煙草を吸う姿がかっこよくて憧れだったのだという。そんな理由であることが恭らしい。
 大学に入学した頃に、恭が律を呼ぶ呼び名も変わった。入学祝の際にふと律がいつまでその呼び方なのかと何気なく聞けば、「じゃあ律さんって呼んでいいすか?」と聞かれて、別にいいと頷くとそれからは「律さん」と呼ぶようになった。最初の頃は「律さん」と「りっちゃんさん」が混在してよく分からない呼び名になっていたが。
 大学卒業後に正式に律の仕事を一緒にすることに決めている恭は、今は大学で出来た友人たちや親交のある『此方』の知り合いとまた何やらやっているようだった。律は自身があまり傍にいる状況ではないこともあり、あまり深くは聞かないことにしている。恐らく今の恭であれば大丈夫だろうと信頼するしかない。心配したところで何が出来る訳でもない。

「式までもう時間がないなー。悠時のおばさんとおじさんに久々に会うから先に挨拶しようと思ってたのに」
「後でゆっくりしたらいいじゃないっすか。あ、芹ちゃんの幼馴染みさんご夫婦で来てましたよー。娘ちゃんめっちゃ可愛かったっす!」
「……おおー、挨拶しないといけない人が増えていく……」
「挨拶よりお祝いっすよ、とりあえず」
「いいオトナだからそういう訳にはいかないんだよ一応……」

 芹を通してとはいえ、幾度か仕事でも関わっている相手だ。こんな機会でもないと直接会うこともない。後で芹に紹介してもらえるなら紹介してもらうべきだろうが、そんな暇が彼女にあるだろうか。
 結婚式――今日は悠時と芹の結婚式だ。いつかは血痕するだろうと思っていたが、いざ現実になるとどうにもこそばゆい。二人が結婚するならその時はピアノを弾きたいと思っていたこともあるが、律の右手はあの頃から全く変わっていないし、律自身あれから全くピアノには触れていない。
 あれよあれよという間に式が始まる時間になって、案内されるがままにチャペルに入る。席に腰を下ろしてふと隣を見れば、結婚式に参列するのは初めてだという恭がかちこちに緊張していて、可笑しくて笑ってしまう。ややあって始まった式で、入ってきた悠時もかちこちに緊張していた。それでも白いタキシード姿の悠時は急に一人前の男になったようにも感じて、少しだけ寂しい気持ちになる。
 続いて入ってきたウェディングドレス姿の芹は、別人のように綺麗だった。父親を腕を組んで照れ臭そうに笑いながらヴァージンロードを歩く姿を見守って。そのまま誓いの言葉、誓いのキス、そして讃美歌。かちこちのままの恭の歌がひっくり返りそうなくらいに下手で、思わず口を塞いで黙らせた。

「茅嶋くんちゃんと式に間に合うように帰国出来たんですねー」
「ぎりっぎりだったよ、もう。間に合わなきゃ芹ちゃんに燃やされるとこだった」
「よく分かってるじゃないですかー。……ちゃーんと貰いましたからね?悠時さんのこと」

 式の後。披露宴の前に少しだけ芹と話す時間が出来て。こそこそと律にそんなことを言って、芹は笑った。悠時と付き合い始めた頃から、芹は悠時を逃がすつもりなどなかったのだろう。『此方』の人間にとって、傍にいて心地が良い人に出会えることはあまりない。
 芹を嫁にもらったのだから、ずっと律のことばかり心配している場合じゃない、と悠時には釘を刺しておくべきだろう。心配を掛けてばかりの律が悪いのかもしれないが、心配が高じて国際電話まで掛けてくる辺りは本当に大丈夫かとこちらが心配してしまう。
 披露宴の前に悠時の両親や芹の幼馴染み、来ていた同級生と話をして。特に知り合いが居る訳ではない恭は最初の方こそ所在なさげにしていたが、気付けば全然知らない人たちと仲良くなっていた。さすがとしか言いようがない。
 その後始まった披露宴では、何も聞いてなかったのに即興でスピーチやらされ、同級生たちが用意した余興は馬鹿騒ぎになり、何だかんだとよく笑える楽しくて良い結婚式だった。2人のことだ、心配しなくてもいい家庭を築けるだろうと思える。

「いいっすねー結婚式。楽しかったっす!」
「恭くんもいつかいい人見つけて結婚しなよ」
「自分のことは全く想像つかないんすけど……」

 空港行きの駅へと向かう、帰り道。2人で喋りつつ、のんびりと歩く。そんな日が来て、いつか律は恭の結婚式に参列することもあるのだろうか。もし今後恭と結婚したいという女の子が現れたら、真剣に大丈夫かどうか確認しないといけない。恭の面倒を見るのは、結構大変だ。

「律さんは結婚する予定ないんすか」
「しないなあ。っていうか付き合ってもあんま続かない気がする。俺仕事でほとんど会えないだろうしー……後はちょっと家的な問題が」
「おっきいおうちってたいへん」
「俺も思う」

 父の会社はこのまま椿が継ぐのだろうし、椿はそのうち結婚するだろうからそちらの方は気にしなくて良いだろう。問題は『ウィザード』としての茅嶋家の方だ。雪乃も千里も取り立てて跡継ぎのことを気にしている様子はなく、律の代で終わるならそれでもよいのではないかというスタンスではある。もし何か今度、『縁』があるならば何らかの方法で続いていくのだろうし、律としては流れに身を任せるつもりでいる。今あまり考えても仕方がない。

「はー……律さんと仕事出来るようになるまで遠いな……あと2年かあ」
「まあ恭くんが大学をあと2年で卒業出来るかどうかの方が大問題だよね」
「それは言っちゃ駄目なやつっす! あー嫌だ後期の単位こわい!」
「あはは。まあ頑張れ」

 途端げんなりした恭の大学の成績の話は、聞かない方がよさそうだ。大学に入ってからはバイトも始めているし、色々と経験は積んでしっかりしてきたなと思うところもある。この春に足を怪我して陸上を引退することになったときは心配したが、当の本人はけろっとした顔でバイトを増やし、それはそれで楽しんでいるようだった。
 もし大学でやりたいことを見つけたら律の仕事を手伝う必要はない、とは言っている。恭の人生を決めるのは恭であるべきで、律が決めることではないからだ。こんな仕事をわざわざ本職にしなくていい、と思う気持ちがないわけではない。選択肢のひとつとして存在しているだけで、他の道を選んだ方が恭の為だ、ともやはり思ってしまう。とはいえ本人はもう既に一緒に仕事をすると意気込んでいるし、日本でやるような仕事は今でも結構手伝ってくれているのが現状だ。
 多分――律と恭は、この先もずっとこんな感じなのだろうと、何となく思う。

「……てか何で律さんトンボ返りするんすか、もうちょいゆっくりしてったらいいのにー」
「だーめ、ただでさえ戻るの時間かかるのに。最終の飛行機乗って戻ります。次帰ってくるのは2週間後くらいかなあ」
「んじゃ次ん時姉貴の墓参り行きましょうよー」
「そうだね。……あとそろそろ鹿屋先生のところにも行かなきゃな」
「俺こないだ会ったっすよー。律さんそろそろ薬足りなくならないかなーって心配してたっす」
「まだあるから大丈夫だけど、そうだなー……次は行かないと」

 琴葉はすっかり律の主治医として動いてくれている。手の調子を診てもらうのに説明がいらないことや、琴葉の知り合いの『仙人』に薬を作ってもらっているので、琴葉でなければ律に薬を渡せない、という事情もある。残りの薬の量を頭に思い浮かべる――予定通りに帰ってくることが出来れば、何とかなるだろう。
 海外のあちこちに行って、仕事をして。大変ではあるし常に命の危険に晒されている状況ではあるが、日々は充実している。悪くない。今はそれが律の生きる世界であり、当たり前の日常だ。

 空港まで送るという恭の申し出は断って、律は一人で空港に向かう。もう少し日本でゆっくり出来るといいのだが、なかなかそうもいかない。当主を継いだ時には仕事のペースはもう少し考えられればいいのだが、自由にすることも難しいだろう。そもそも茅嶋としての仕事が海外が多くなっていることにも色々と事情がある。
 ――こんな日常も、悪くはない。律は『ウィザード』として生きる。それだけだ。今までも、これからも。それが律が決めた生きていく道で、世界なのだから。

 茅嶋 律、27歳。職業、『ウィザード』。
 こうして、日常は続いていく。