One Last P"l/r"aying

17

「――まあその後は、りっちゃんは今のバイト先見つけて働きつつ、ずっと新藤 奈南美の足取りを追い続けて今に至る、って感じかな。俺が話せるのはそれくらい」

 悠時の話を、恭と芹は黙って聞いていた。
 玲の葬儀の時のことは、恭もよく覚えている。玲は家に帰ってきた時に確かによくピアノ専攻の後輩の話をしていて――「派手な金髪の隠す気ない『ウィザード』だから、恭でも見たらすぐ分かる」とこそっと言われた――見た瞬間にすぐにこの人が玲の言っていた人だ、ということには気が付いたからだ。
 足を引き摺るように歩いていたから、怪我をしているのだろうなとは思っていた。焼香をして、玲の遺影を見上げて唇を噛み締めて、確かにあの時、律は玲に何かを話しているようにも見えたから。

「……茅嶋くんが殺したわけじゃないじゃないですかそれー。辿れば悪いのはその『魔女』です」
「りっちゃんあの性格だぞ?ずっと思い詰めてんのは分かりきった話だよ。適度に会って適度にガス抜いてやんねえとって俺もずっと思ってたし。恭がりっちゃんちに居着くようになってからは割と落ち着いてたんだけどな……」
「『赤い部屋』が茅嶋くんちになってるってことはー、まあ9割9分、茅嶋くんにその『魔女』が接触したってことですよねえ」
「つーか俺にはりっちゃんさんが負けるの全然想像つかねえ……」
「当時のりっちゃんは今ほど強くはねーんじゃないのかな、知らねーけど。そもそもりっちゃんが本気で『ウィザード』としての腕を磨き出したの、柳川先輩が死んでからの話だと思う」
「……すんごい努力したんでしょうね、茅嶋くん」
「多分な」

 その努力を、何の力もない悠時が知ることはない。それでも、律が怪我をすることは徐々に減っていき、今ではそれほど多くはなくなった。多少の怪我をしていることはあっても、動けなくなるほどの大怪我というのは以降聞いていないし見てもいない。どれだけの覚悟を決めて動いてきていたのか、それが指し示している。
 ずっと後悔して、一人で苦しんでいるのだろう。だからずっと月に一度、命日の墓参りを欠かさない。それは律なりの罪滅ぼしのつもりなのか、それとも己の所業を忘れないようにするためなのか。恭を仕事に巻き込みたがらないのは、何より玲の二の舞になることを恐れているからなのだろうことは想像に難くない。

「恭ちゃん、本当に茅嶋くんに何も聞いてないの?」
「姉貴の話はほんっとに何もしないんすよあの人。俺も聞きにくくて……」

 恭は何も知らない。律が今使っている銃がかつて玲が使っていたものだったことも、今の話で初めて知った。いずれは話すつもりが、果たして律にあったのだろうか。或いは全てが終わった時に話そうと思っていたのか。そればかりは、律に聞いてみないと分からない。そもそも恭が玲の話を振ると、律は黙ってしまう。今は何も語らないことしか出来かったのかもしれない。
 玲の仇がいるのであれば、教えて欲しかった――と思うものの、律にとって『玲の仇』は律自身なのだろう。だからこそ、玲の弟である恭には余計に何も言えなかったのかもしれない。

「……あの人本当のこと話したら俺に恨まれるとか思ってそうだし」
「あー……りっちゃんだからなあ……」
「俺ちゃんとりっちゃんさんがどんな人か分かってるのに。何だかんだ面倒見てくれる頼れる人で、でも朝弱くて、時々子供みたいに機嫌悪くて、すーぐ自分で全部何とかしようとして、自分のことより人のことばっかり気にする、……優しい人っすよ、りっちゃんさんは」
「……うん、そうだね」

 恭の言葉に、芹が柔らかに笑む。悠時ほどの付き合いの長さはなくとも、恭も芹も律がどんな人間かは理解しているつもりだ。玲の話を律から直接聞いたとしても、律が悪いなどと責めるつもりは毛頭ない。そんなことはきっと律も分かっていた。
 ただ怖かったのだろうと、話を聞いた今なら思える。

「『赤い部屋』のこともあるし、まず間違いなく新藤 奈南美が関わってんじゃねーかな、と俺は思う。アイツはりっちゃんを『彼方』に引き摺るか殺すかして仕方なかったみたいだしな。……俺たちが店で会ってから恭が家で会うまでの間に新藤 奈南美が接触してきて、何らかの手段を使ってりっちゃんを引き摺ってるってセンが濃厚」
「それが違うかもー、っていう可能性は、悠時さん的にはー、ナシ?」
「ねーな。『魔女』はりっちゃんが柳川先輩のことをずっと気にしてるのを知ってるし、そもそもそう仕向けてんのもアイツの方だからな」
「……んじゃあ、俺が頑張る」
「恭ちゃん」
「だって、そうでしょ。俺、姉貴の弟だもん」

 律自身が、玲を殺したのは自分だという呪いに囚われているのなら。律のせいではないと言う権利があるのは、身内である自分だけだと恭は思う。そんな簡単なことではないかもしれない――それでも。他の誰かが言うよりはもっときちんと届くのではないだろうか。
 律に、気にする必要はないのだと。玲が死んだのは律のせいではないのだと。そうきちんと伝えなければ、律はずっと玲の死に囚われたまま、動けない。
 もっと早く気付くべきで、もっと早く知るべきだった。こんなことになる前に、律と話をするべきだった。踏み込み切れなかったことを、聞き出す勇気を持てなかったことを後悔はすれど、後悔ばかりしていられない。今助けなければ、きっともう次はない。

「芹も手伝うから、何でも言って」
「ありがとっす、芹ちゃん。……でもだいじょぶ、俺にだってアテはあるんすよ」
「アテ?」


『りっちゃんが今『彼方』に引き摺られてるのは、人にはなるべく知られねー方がいい。『茅嶋』のネームバリューってのは恭の想像の百倍はすっげーもんで、そこの跡継ぎが『彼方』に引き摺られたとなりゃあ信用も信頼もガタガタになっちまうからな。……俺はおめーに任すことしか出来ねーけど、りっちゃんの為にもどうにかしてやってくれ』

 そう言って、悠時は恭に頭を下げた。『此方』の人間ではない悠時にとって、現状が分かっているのに何も出来ないというのは悔しいことだろう。20年以上共にいて、それでもこんな時に何も出来ない。その辛さはきっと、恭の想像を超えている。
 ひとまずその日はそのまま芹の家に泊めてもらい、翌日朝から学校をサボることにした恭は、2人に話した『アテ』と連絡を取った。昼前頃に駅前のファーストフードで待ち合わせをすることになり、少し緊張しつつも待ち合わ場所へと向かう。

「おう、柳川」
「……お久しぶりっす。松崎先輩」
「そだな。……一年振りくらいか」

 そう言いながら、現れた待ち合わせ相手である男はシェイク片手に今日の前の席に腰を下ろした。黒髪に黒縁眼鏡の奥、冷たくも見える無表情は恭の記憶と何も変わらない。松崎 渚――式神使いの『陰陽師』であり、恭の高校の先輩に当たる。1年近く前に恭が巻き込まれたとある事件以降疎遠になっていたのだが、今回は気まずいとも言っていられない。

「柳川から連絡してくるとは思ってなかった」
「俺はもしかしたら来ないかなって思ってたっすよ。……嫌われてるし」
「そうだな、お前のことは相変わらず嫌いだけど」
「……スイマセン」
「分かっててそれでも俺に連絡してくんだから何かあったんだろ。何の用だよ」

 渚は淡々としている。まるで2人の間には何もなかったかのように。聞きたいことは多いが、恭は一旦それをぐっと飲み込んだ。何も変わらないように見えても、かつての事件以降確かに変わってしまっている関係を、更に悪化させたくない。
 それでも悠時の話を聞いたときに、この件で頼るなら渚だと恭は決めていた。律が『彼方』に引き摺られてしまっていることを他人に口外することなく、今の律の状態を恭自身がきっちりと理解する為に。渚であれば絶対に誰にも言わない、という確信が恭にはある。

「……あのー、『ネクロマンサー』について、知りたくて」
「あ?そんなの茅嶋さんに聞けばいいだろうが。あの人『ウィザード』なんだしよく知って……」

 恭の言葉に不思議そうな顔をした渚は、しかし言葉の途中で気がついたようだった。恭が今知ろうとしている『ネクロマンサー』の情報は、『ウィザード』が『彼方』に引き摺られた先。それを律に聞いて教えてもらうことが出来るなら、わざわざ渚に連絡を取る必要はない。

「……茅嶋さんに何かあったのか」
「……っす」
「お前まさかまた、」
「あーいや違います! 俺は一緒にいたわけじゃないんで、何があってそうなっちゃったかはちっとも分かってないんすよ、今回は。……俺、あのひと助けたくて、それで……」
「……ちっ。まあ……そうか。そうだな」
「松崎先輩は色々詳しいし、……話しても誰にも言わないだろうと思って」
「ああ……そりゃあの人が引き摺られたとなれば広められねえよな……」
「どうしたらいいのかと思って……」
「……まず『ネクロマンサー』が何たるか、な」

 シェイクをテーブルの上に置いて、渚はごそごそと鞄から筆記用具を取り出した。きょとんと首を傾げる恭の目の前で、渚はがさがさと綺麗な字で何かを書き込んでいく。

「お前みたいな馬鹿は話してる矢先から何聞いたか忘れるからな」

 待つこと数分。教科書かと思う程に綺麗に書かれた文字と図が、恭の前に出された。スライド代わり、ということだ。

「まず『ウィザード』とは何たるか、だ。『ウィザード』っていうのは固有の能力として『彼岸』と契約してノーリスクで力を借りることが出来る。『サモン』って呼ばれる力だ。茅嶋さんがよく右腕バチバチさせてるアレは、雷を司る『カミ』に力を借りてる証拠だな」
「うす。それは分かるっす」
「よし。あとは『リコール』。『彼岸』を強制的に追い払う術。倒す訳じゃねえから解決にはなんねえけど、その場は凌げる。ただすっげえ体力使うから、1日1回使えたらいい方」
「えーと……何回か見たことある気がするっす」
「ん。じゃあ分かるな。ラスト、『ウィザード』の防御力を高める防御壁。『プロテクト』って呼ばれるもんだ。練度……って言ったらお前には分かんねーな。まあ戦って使えば使う程強くて硬い守りが期待出来るようになる代物だ。敵としてはめんどくせえやつだな。……もっと上位の人が使うような術もあるけど、とりあえず基本としてはその3つ」
「ほえー……」

 固有の能力というものは、やはり馴染みがない。恭が『変身』出来るのは『ヒーロー』だからこその能力で、それと同じように『ウィザード』も、だからこその能力を持っている。当然のことではあるが、普段あまり意識していない。そういうものだと思っているので、どういうものかが分からない。
 守りが硬くなる能力があっても怪我はするのか、と思いかけて、思い返す。それだけ律は強い相手と戦っていて、恭や一緒に戦ってきた人を助けてきたのだろう。

「で、『ネクロマンサー』になるとこれが一変する」
「全部なくなるっすか?」
「うーん、まあ魔術を使うって点では一緒だけどな。まず『ネクロマンシー』、ゾンビを使うようになる」
「うえ」
「俺ら『陰陽師』が『式神』使うのと似たような能力だ。要するに盾扱いだよ。使う人間が強けりゃ強い程、盾として使える回数も増える」
「……んなメンドーな……」
「後は肉体的なダメージよりも精神的なダメージを与える『ヴードゥー』、相手に呪いをかける『カーズ』。どちらかといえば精神的にやられる術を使う」
「……えーと、んで、そうなるとこっちが引き摺られるっすか?」
「そ。ミイラ取りがミイラになるっつー話」

 助けるつもりがこちらまで引き摺られてしまった、ということになっては洒落にならない。恭一人ではやはりどうしようもないだろう――そもそも戦闘になれば勝てる気がしない。
 ただでさえ律は強い、と恭は思っている。少なくとも、恭が勝てる相手ではない。それでも、『此方』に引き摺り戻さなければならない。そうして、玲のことは律のせいではないのだと、きちんと伝えさせてほしい。

「……どこまでの状況か分かんねえけど、『此方』に戻そうにもまず弱らせねえと隙なんか見せてくれねえだろ、あの人。『ウィザード』のままだろうが『ネクロマンサー』になってようが防御は硬ぇぞ」
「……多分。でも、やるしかねえっす」
「あ?お前に何とか出来る算段はあんのかよ」
「気合いと根性で! 何とか……!」
「相変わらず大馬鹿かお前は。『彼方』に引き摺られるってどういうことか分かってんだろ」

 心底呆れた表情を向けられて、思わず恭は目を逸らす。しかしどうしようもない。本当に恭には勝てる算段はない。律の仕事で関わりのある人物も何人か知ってはいるが、知られてはならないことを話してもいいものかどうかも分からない。芹が手伝うと言ってくれているのだから、素直に力を借りればいいのかもしれないが――恭としては、芹のことは巻き込みたくない、と思う。
 ちらりと渚に視線を戻す。厳しい視線に射抜かれて少し後退りたい気持ちになりながらも、無理を承知で口を開く。

「……たす、けてほしい、です……」
「あ?」
「俺と一緒に、りっちゃんさん、と、戦ってくれませんか」

 驚いたように目を見開いて瞬く渚は、その台詞を予想してはいなかったのだろう。渚が恭に抱いている感情を、恭は理解している。それでも本当に今回、恭にとって頼る先は渚しかいない。覚悟を決めて、恭は渚に連絡を取ったのだ。
 テーブルに視線を落とした渚は何かを考えているようだった。断られても仕方ないとは思ってはいるものの、この沈黙はどうにも怖く、重い。何も言えずに俯いて待っていると、聞こえたのは大きな溜め息。

「……いつ行くんだ」
「!」
「……言っとくけどお前の為じゃねえよ、茅嶋さんの為だからな」
「……松崎先輩……」
「分かってるだろうけどこれっきりだぞ」
「はい! ありがとうございます……!」

 安心した表情を浮かべる恭に、渚は少しだけ、呆れたように笑った。