One Last P"l/r"aying

02

「あ。りっちゃんさん、今日の夕方ってちょっと時間あります?」

 とある日の朝方。
 いつものようにバイトを終えて帰宅し、シャワーを浴びた後。髪を乱雑に拭いていた律に、学校に行く用意をしていた恭が思い出したように声を掛けた。何だろう、と首を傾げながら、頭の中で今日の予定を思い出す。バイト以外の予定はなかった筈だ。

「急な仕事が入らない限りは多分大丈夫だけど、急にどうしたの?」
「ちょっと見て欲しい子がいるんすよ」
「見る? 俺が?」
「うす。後輩のカノジョなんすけど、……何か、うーん。変だなーと思ったらぶんちゃんが蛇憑いてんなあ、って」
『こら恭、関わんな言うたやろ!?』
「だって放っとけないじゃんー」

 テーブルの上に置かれていた恭のスマートフォンのディスプレイの上、親指の先ほどの大きさの人型の白いもやもやが現れる。通常、ヒトには見えないそれは『彼岸』の存在。とある事件で関わったインターネットに住まう『怪異』の『分体』で、インターネット上の情報収集を得意としている。多くの分体を生み出し様々なヒトの生活に入り込み悪さをしていたその『怪異』本体は律が討伐したのだが、何故か恭のところにやってきたその『分体』だけが消滅することなく残ってしまった。やたら恭と意気投合したこともあり、現在は恭に「ぶんちゃん」と名前を付けられた上で彼の持つスマートフォンに住むことになったという経緯がある。
 律が『此方』の存在であり『ウィザード』の力を持っているのと同じく、恭にも変身して『彼岸』と戦う力を備える『ヒーロー』と呼ばれる『此方』の力を持っている。それは律が恭の面倒を見ることにした一因でもあった。『此方』や『彼方』の世界は一般人に理解されるようなものではない。何も知らずにその力を利用されるようなことになるよりは、きちんと教えておいた方が良い、という判断だ。とはいえ、律としては『此方』の力のことなど忘れて恭には普通に生きて欲しいと思ってはいるが、好奇心旺盛に首を突っ込んでいく恭を止めるのはなかなか至難の業だ。

「蛇かー……。ぶんちゃんの見立てでは完全に蛇?」
『……おう。言うんやなかった……』
「でも何かすんげー変でいやーな感じすんだもん。絶対何かあるじゃん。何かこう、あんまり近づきたくない感じ?」
「ふーん……」

 ――これは律に対する、仕事の相談だ。
 バーテンダー兼ピアニストとして働いているものの、律の本職は『ウィザード』だ。バーという場所はその性質上様々な職種が集まり、様々な情報が落ちる。時折話を聞いて律自身に依頼しにくるような同業者もいる。そうして必要な情報を得て『ウィザード』として活動するのが、今の律の生活の基盤となっている。
 恭が自分から律にこういった相談をするのは珍しい。『此方』のことで何かあれば必ず相談しろと再三言っても聞き入れない方が圧倒的に多いからだ。恐らくだが、何か起きた時はそれで頭が一杯になってしまって律に相談する、ということが頭から抜けてしまうのではないかと律は推測している。あとは『此方』の知り合いと一緒に勝手にやっていて、露見して律が怒ることになるのが殆どだろうか。そして律は自分から『仕事』の話を恭にすることはない――巻き込むのは本意ではないからだ。そして恭も怒られるのを避けて、自分で勝手に関わった話については律が勘付くまで黙っていることが多い。
 だからこそ恭が律を名指しでこうして相談することは、滅多にない。どういう風の吹き回しだろうかと思いつつ、律は口を開く。

「その子と何で会ったの? その子も学校の後輩?」
「や、違う学校の子っす。後輩迎えに来てて会ったんすよ。で、こんちはーって挨拶したときにすんげえ寒気して、あれ? みたいな……?」
「なるほど? 恭くんが寒気するならあんまりいいものじゃなさそうだね」
「んー、アレ放置しとくのは絶対よくないと思う……。彼女さんもそうだけど平瀬が、あ、その後輩平瀬っていうんすけど」
「うん」
「来年インハイ行けそうくらいにはいい感じなんで、もし選手生命的にヤバイことになったらやだなあって……」
「あー……。……何か影響受けてる気がする感じ?」
「んんー……そゆのは分からん……」

 しゅんとする恭に、律は苦笑う。『此方』の力を持っているとはいえ、恭は『彼岸』を視る力自体は非常に弱い。『彼岸』側が認識させようとしていない限りは何となく感じ取れれば良い方の恭が、得られる情報が少ないのは仕方のないことだ。今回は気付いただけ珍しいというところか。
 さて、と律は考える。『蛇』は大抵の場合、非常に厄介だ。悪いモノであったとしても、ちょっとやそっとでは引き剥がせない。神の使いとしての一面を持ちながら、一方で悪魔の化身とされるもの。出来たとしても一時的に退けるか、その影響力を抑えるのが精いっぱいといったところだろう。もし人に害為すモノであるなら放置しておく訳にはいかないだろうが、あまり相手にはしたくないというのが正直なところだ。

「平瀬くん? はいつからその子と付き合ってるの?」
「3ヶ月くらいって言ってたかなー。ちょいちょい放課後にデートしてるみたいっす」
「青春してるなー。昨日も一緒に帰ってったの?普通に?」
「そっすね。変わった様子は別に」
「ふーん……。おっけわかった、とりあえず見に行くよ。18時くらいで大丈夫?」
「そっすね、それくらいなら多分カノジョも来てると思うっす」
「了解。恭くんも気をつけるんだよ」
「はーい」


 その日の夕方、約束の18時少し前。律は恭の通う高校の前に居た。
 スポーツで有名な私立校であることは知っている。あちこちから部活をしている元気な声。律の青春時代は『ウィザード』としての修行とピアノに傾倒していたこともあり、運動部には縁がなかったことも手伝って妙に新鮮に感じてしまう。元より体を動かすのは苦手な方だ。
 電柱に寄りかかって、行き来する人々を眺める。下校していく高校生たちからは、嫌な雰囲気を感じない。どこにでもいる、普通の高校生たちでしかない。そんな中で違和感を感じたのは、そこから十数分後――何かが這ってくるような、そんな感覚が律を襲う。す、と視線を気配のする方に動かせば、一人の女子高生がこちらに向かって歩いてきていた。確認しなくても分かる、それは恐らく恭が言っていた『彼女』だろう。これだけのものを背負っていればさすがの恭でも気付く、というか、恐らく何の力もなくても、敏感な人であればあまり彼女に近づこうとは思わない。それほどのものを背負っている。
 小さな蛇が寄り集まったかのような大蛇がその女子高生の足元から頭の上まで巻き付いている光景が、律の目には映っている。頭の上から女子高生を見下ろしている蛇は、あまりに禍々しい。少なくとも女子高生を守っているようには見えない。どちらかといえば見張っている、ように感じる。思わず『分体』が蛇だと口にしてしまった理由も分からなくないな、と思う。街中で急に普通に出会うには『あまりにも』、過ぎるのだ。

「……これ俺専門外のやつな気がするな……」

 律の持つ『此方』の力は『ウィザード』、その名の通り魔術を用い戦う者の総称だ。基本的に戦うことに特化している。だがしかし、この蛇に必要なのは倒すこと、ではないだろう。祓い退けることが必要であれば、『陰陽師』や『エクソシスト』と呼ばれる『此方』の者に対応してもらうのが一番早い。『ウィザード』でも方法がないわけではないが、一時的な対応が関の山だ。――いや、それは言い訳だ、と律は一人静かに首を横に振る。単純に、関わりたくない。これは、律が一番嫌いなタイプの『仕事』に分類される。
 自業自得の、その結果。

「あ、りっちゃんさん!」

 さてどうしたものか、と思案に耽っていると、聞き慣れた声が耳に届く。顔を上げれば、律を見つけて呑気に手を振っている恭の姿が視界に入った。その隣にいるのは恐らく件の後輩である平瀬だろう。蛇憑きの女子高生が、その姿を認めて反応したのが視界の端に入る。何より、彼の足首には小さな蛇が巻き付いているように見えた。
 明らかに、あの蛇は周囲に影響を及ぼしている。早めに何か対策を打たなければまずいだろう。恐らく、恭があの蛇の存在に気付いたのは、蛇から『此方』の力を嗅ぎつけられて牽制されているからだ。牙を剥いて威嚇されたから、感知した。
 律の気を知ってか知らずか、恭は平瀬に断りを入れて律の方に駆け寄ってくる。途中でちらりと女子高生を気にしたのは、やはりそこにいる大蛇の気配が気になるからなのだろう。

「りっちゃんさん、アレ、例の子なんすけど」
「うん。見えてる」
「やばめっすか」
「うーん、かなり……」
「おっけーっす」

 何が、と問いかける前に、恭がくるりと女子高生が居る方向を振り返った。ちょうど女子高生は平瀬に声を掛けて、一緒に帰ろうとしているように見受けられる。そちらに向かって、恭はぶんぶんと手を振って。

「平瀬ー! と、そのカノジョ!」
「え、ちょっと」
「何すかセンパイ」
「ちょっと話あるんだけど、時間ある?」

 続いた恭の言葉に、律は頭を抱えた。
 女子高生の方はまだ何とも言えないが、後輩の平瀬は完全に一般人だ。後日改めて女子高生にコンタクトを取るだとか、それ以前に女子高生のことを調査するだとか、そういった対策や方針を定めてから動くべきところを、一足飛びに越えていく。こういうところがあるから、恭から目を離す訳にはいかないのだ。
 この後普通に21時からバイトのシフト入ってるんだけどな、と思いつつ、律はきょとんとしている平瀬とその隣の女子高生を注視して。

「……まずいな」

 思わず、口から漏れた。
 女子高生に巻き付いている大蛇は、律を認知している。真っ直ぐに律を見据えて、威嚇する瞳。その影響なのか、女子高生の瞳も蛇のそれに変化しては元に戻る、を繰り返している。背筋に冷えたものが滑り落ちて、律はゆっくりと息を吐いた。――落ち着け。そう言い聞かせて、背筋を正す。隙を見せたら、怯えてしまったら、その時点でこちらの負けだ。
 専門外だろうと何だろうと、関わってしまったものはもう仕方がない。何より、このまま放置したところで恭が関わるのは目に見えている。もし関わらないとしても、近づいた者を巻き込んでいく可能性がないわけではない。
 さて、どうしたものか。悩みつつもひとまず、律はにこりと笑顔を作った。