Colorless Dream End

06

「本当は今日はカヲルちゃんのことは放っとくつもりだったんだけど、きょんきょんに会ったのも何かの縁だし。行こうか」

 しばらく経って恭の頭痛も落ち着き、二人とも飲み物も飲み終わった後。鞄の中をごそごそと漁りながら、奈瑞菜が提案してきた。
 行こうと急に言われてもどこに行くのかも分からない。渚を追いかけるのだろうかとは思ったものの、どうやって追いかけるつもりなのかも分からない。

「……どこに……?」
「それを今から調べるよー。よいしょ」
「……なにこれ?」
「羅経盤。見たことない?」
「らけーばん……とは……」
「『卜占』の道具。『陰陽師』はね、こういう道具を使って調べものをすることができるのだ」

 奈瑞菜が鞄から取り出したのは、少し大きめの丸い盤。見慣れない漢字が細かく書いてあるのが見て取れて、恭は眉を寄せる。先ほどとは違う意味で頭が痛くなりそうだ。
 恭の困惑を気に留めず、奈瑞菜は次に真っ白なカードと筆ペンを取り出した。そのカードにさらさらと何かを書いて、羅経盤の上に乗せる。――その瞬間。

「わっ」
「他の人には見えてないから静かにね」
「へ、あ、うっす」

 カードが変化して、代わりに小さな青い鳥が羅経盤の上に現れる。渚が白い狐の『式神』を使っているのは何度か見たことがあるが、恐らくそれと同じようなものなのだろう。青い鳥はきょろきょろと辺りを見回して、そのまま盤面を歩き回り始める。
 ちょこちょこと小さな鳥が歩く姿は可愛らしくて、そんな場合ではないのにほっこりと気持ちが和む。対する奈瑞菜の表情は真剣で、恐らく下手に声を掛けて邪魔をしない方がいいだろう。黙って飲み終わったカフェオレのストローを意味もなく弄る。何をしているのかが恭には全く分からない。人によってやり方は様々だということだけはよく分かる。
 待つこと数分。ぴ、と小さく鳥が鳴いて、その姿がぽんと消えた。それを見届けてから、奈瑞菜はいそいそと羅経盤を鞄の中に仕舞う。

「おっけー。お待たせきょんきょん、行こうか」
「え? 何? どこに」
「ん? だからカヲルちゃんとこ」
「……今ので分かるんすか?」

 恭にはただ小さな青い鳥がうろうろと動いていたようにしか見えなかった。半分疑いの眼差しを奈瑞菜に向けると、あは、とおかしそうに奈瑞菜は笑って。

「これでもそれなりに人探しとかはしてきたのでー。ついておいで、証拠見せたげる」


 カフェオレ代は出すと言ったのだが、いいからと押し切られて結局本当に奈瑞菜に奢ってもらう形になってしまった。行くよーと歩き出した奈瑞菜の後をついていき、タクシーに乗せられ、辿り着いた先は来たことがない街だ。
 本当にこんなところに渚がいるというのだろうか。騙されているのではないかと心配になる。不安を訴えたいところではあるが、奈瑞菜の足取りには迷いがない。彼女が渚の知り合いであれば信用して大丈夫だとは思っているが、どちらかと言えば心配は恭が迷わずに家に帰ることができるかどうかだ。
 全くここがどこなのか、分からない。

「きょんきょん、すとっぷー」
「へ」
「カヲルちゃんいたよ」
「はや!?」

 展開の早さについていけない。
 物陰に隠れた奈瑞菜に倣って一緒に隠れながら、そっと奈瑞菜が見ている方向を覗き込む。路地の奥に、確かに渚はいた。
 見た目は特に変わっていない、恭が知っているままの渚の姿がそこにある。黒縁眼鏡の奥、冷たい目で何かを見下ろしながら話している渚――そこに誰かいるのだろうか。恭の位置からはちょうど死角になっていて、全く見えない。
 一体こんなところで誰と喋っているというのだろうか。奈瑞菜に言われなければ絶対に気付かなかった、人が通りそうにない細い路地だ。この状況で誰かが渚といるというのなら、それは恐らく足元で。

「きょんきょん、何かあったらカヲルちゃん取り押さえられる?」
「何かって」
「言ってるでしょ、多分カヲルちゃん犯人だよって」
「……ん? じゃあ松崎先輩もしかして今」
「多分『彼方』の人と喋ってるんじゃないかと思う……、見てこようか。ちぃ、おいで」

 奈瑞菜の鞄の中からふわりと白いカードが飛び出してきて、また青い鳥へと変化する。先ほどと同じもののようだが、今度は雀くらいの大きさになっている。ばさりとはばたいて飛んでいった鳥は、渚の更に奥にある家の屋根の上に止まって。
 その瞬間だった。
 す、と渚の視線が移動してこちらを向く。――目が、合う。明らかに渚は驚いた表情になって、そしてその手が動いた。途端、ぶわりと何か真っ黒なものが奈瑞菜の放った取りに纏わりついて、そして鳥ごと消え失せてしまう。

「きょんきょんカヲルちゃん捕まえて!」
「うす!」

 何が起きているのかは分からない。分からないが、奈瑞菜にそう言われた瞬間に条件反射で体は動く。それほど距離はない、渚が逃げても捕まえられる自信はある。しかし、進路が狐によって阻まれた。
 見覚えのある、真っ白な狐。しかし恭が知っている渚の『式神』に比べると、倍ほどの大きさがある。

「意味分かんねえな何でお前がいるんだよ柳川!?」
「えっこっちが聞きたい! 松崎先輩何してんすか!?」
「た、たすけ……」
「って、この人はこの人で怪我してんじゃん!?」

 渚の前にいたのは、30代くらいの一人の男だった。『彼方』なのかどうかは恭には判別ができない。ただ酷く怯えた表情をして震えているその男は、全身に怪我を負ってぼろぼろだ。自力では動けそうにない。

「碓氷、お前の差し金か! 柳川巻き込んでんじゃねえよ馬鹿が!」
「はー!? だーれに向かって馬鹿っつってんの成績で一回もアタシに勝ったことない男が!」
「うるせえわ何の嫌味だ! そんな話してねえ!」
「あーもー、狐さん退いてー!?」

 白い狐は恭の足にじゃれついてきている。攻撃をされているわけでもない、『式神』だということも重々承知はしているので出来れば退いてほしいのだが甘えてくる。それが一番恭に効果的だと理解されている。
 ――きつね。

「いっ……」

 再び、頭痛が恭を襲う。何故今頭が痛むのか。どうして。

「大体さー、カヲルちゃんが悪いんでしょうが! アタシにもくっきーにもナイショで何してるのかなあ、友達少ないクセしてさあ!」 「ディスってんじゃねえよっつーかお前も楠も関係ねえだろうが! ……くっそ、『サイキッカー』対策は何とかなってもお前の『風水』封じらんねーのほんっと不便だな……」 「ふふん。カヲルちゃん如きがアタシに勝とうなんて一億光年早いっつーの」 「本気でムカつくなお前って奴は……ちっ、まあいいか。用事は済んだし」

 渚の用事は何なのか。問いかけたいのに、声が出ない。頭が痛い。経っているのも辛い。くらくらと世界が揺れているような気すらする。ふわふわとした視界の中、渚の手が男の襟に伸びるのが見えた。掴まれた襟、真っ直ぐに射貫く冷たい瞳。それを恭は知っている。いつかの日に同じ視線を見たことがある。

「お前、本当に何も知らないんだな?」
「だから知らないって言ってるだろ!? そもそも憂凛なんて女の子のことからして知らない! 俺は関係ない!」
「じゃあもういい」
「……ゆ、り」

 ずきん。その頭痛は、今までとは全く違う痛みを伴って。

「うあ……ッ!?」
「え、きょんきょん!?」
「……柳川?」

 痛い。死ぬ、と思うほどに。頭が割れる。痛い。酷い嘔吐感に襲われて蹲ってしまったのは不可抗力だ。きもちが、わるい。立っていられずにその場にへたり込む。恭の足にじゃれついていた渚の『式神』が、途端心配そうに恭を覗き込んでくる。
 きつね。
 ゆり。
 ――それは、誰だったか。

「きょんきょんさっきも頭痛いって……やっぱ大丈夫じゃなかったじゃん、とりあえず落ち着いて、ゆっくり深呼吸とかしてみて!」
「む……り、いったい……ッ」
「……柳川。お前その頭痛いつからだ。茅嶋さんは知ってるのか」
「……へ……?」
「今、どうしてそんなに頭が痛いのか、お前、心当たりないのか」
「ちょっとカヲルちゃん、今そんな質問攻めしても」
「碓氷には関係ない。柳川お前もしかして、憂凛のこと」

 ――『ゆり』。また、その名前を聞いた瞬間にずきんと頭が痛む。痛むどころではない、本当に割れるのではないかと錯覚する。辛うじて口から漏れたのは呻き声だけで、言葉にならない。

「……渚? 何をしてるの、済んだなら行くよ」
「あ。ああ……悪い、ちょっと待ってくれ」
「待たない。悠長にしてる時間がないのは渚も分かってるでしょう」
「ちょっと誰アンタ」
「誰でもいい、貴女は必要ない。……渚、行くよ」
「せ……ん、ぱい、」
「あとこの件にはもう首突っ込むな、お前が出しゃばることじゃねーから」
「カヲルちゃん」
「碓氷、お前も二度とこの件に首突っ込むな」

 知らない声。渚の声。奈瑞菜の声。顔を上げても視界がぼんやりと歪んでしまって、もう渚の顔すら見えない。奈瑞菜が怒っていることだけは理解できるが、その声もどうしてだかとても遠くて。
 ぐらぐらしている。痛い――いたい。

『恭ちゃんっ』

 頭の中、誰かが恭を呼ぶ声がして。
 意識を保っていられたのは、そこまでだった。


「……何でそんなことになってるんだ……」
『こっちが知りたい』

 『分体』の報告を受けて、律は溜め息を吐いた。恭はまた何に首を突っ込んでしまったというのか。変なことに首を突っ込んでとは思うが、恭には数人『彼方』の友人がいることは知っている。恭の性格では『彼方』が狩られているなどという話を聞けば動いてしまう気持ちも分からなくはない。

「ていうか何の話聞いて倒れたって?」
『それが分からん! 松崎と何か喋ってるのは覚えてるし聞いたはずやのに、ちっとも』
「ぶんちゃんの記録が消されてるってことになるよねそれ?」
『こんなん初めての経験やで』
「うーん。まあ一応曲がりなりにもぶんちゃんは『彼岸』だし、普通下手にそんなこと出来ないよね……」

 何かの話をしていて倒れた、ということしか分からない現状では何も手の打ちようがない。一体何が関わっているというのだろうか。
 渚が『彼方』狩りの犯人だというのが事実だとしても、渚に恭の頭痛を引き起こしたり『分体』の記録を消すような力はないはずだ。記憶操作をするのであれば律のような『ウィザード』の方がまだ得意だろう。その他にもそういったことが得意な『此方』も『彼方』もいるが、少なくとも『陰陽師』にそんな力はない。

「今恭くんは?」
『碓氷が琴葉の病院に運んでくれてな。意識戻ってないんやけど、琴葉もおらんし院長もおらんし知っとる『ヒーラー』おらんくて治療出来んかって、それやったらと思って茅嶋の家に連絡入れたらモニカが迎えに来てくれて茅嶋の実家運んでくれた。今椿が看てくれとる』
「うちにいるなら大丈夫かな。変なのが憑いてたらそもそもうちには入れないしなあ……お母様もいるし」

 果たして恭の頭痛の原因は何なのか。きっかけを知りたくても、あまりにも情報が少なすぎる。こればかりは直接恭にも話を聞いてみる必要があるし、連絡が取れないとしても渚に連絡しなければならないだろう。

「ぶんちゃん、恭くんが目を覚ましたらすぐ俺に連絡させてくれる? 何時になっても大丈夫だから」
『分かった』
「あとぶんちゃんが気が付いたこととか思い出したこととか、何かあれば俺のスマホに情報流してて」
『了解!』

 ぐ、と拳を握りしめて気合を入れているようなポーズの顔文字を浮かべて、『分体』は律のスマートフォンの中に消えていく。
 本当に何が起きているのか全く分からない。恭の頭痛、渚の『彼方』狩り、そして『分体』からの記録の抹消。どうにも何も繋がらない――ピースがばらばらにも程がある。『彼岸』が関わっているのか、それとも『彼方』が関わっているのか。全部繋がっているのか、全てはばらばらの事象で偶々全て同時期に起きてしまっただけなのか。

「難しい顔してるねえ」
「うわ!?」
「そんなに驚かなくても」

 いつの間に現れたのか。律から少し離れた場所にあるソファに、リノが座っていた。全く気配を感じなかったことに寒気を覚える。当然のようにふんぞり返るようにソファに腰掛けているリノは、面白がっているかのような表情だ。こちらは全く面白くも何ともない。

「いつからいたんですか……」
「キョウがカヤシマの家に運ばれたってところくらいかな。何かあったのかい?」
「……まあちょっと……」
「はは、警戒されてるなあ」
「急に現れたら誰でも警戒すると思いますけど……」

 何よりアレクから『化物』の部分があると聞いたところだ。この男を本当に信用して大丈夫なのかどうかが全く分からない。意図的に情報を隠すことを平然とやりそうだという印象も何となくある。

「キョウに何かあったのなら、俺の話は後回しにしようか?」
「……いえ、聞きます。この際面倒事が一つ増えようが二つ増えようが」
「目が死んでるよ」
「昔からこういうことには巻き込まれやすいんですよ……」

 平穏無事な生活からは元より程遠い。最近あまりないような気もしていたが、それは『ウィザード』としての仕事が本職になった証左か。恐らく日本でのんびりと過ごしていれば今も同じなのだろうが、知り合いが入れ替わり立ち代わり色々な面倒事を持ってくるのが日常茶飯事だ。頼ってくれているということではあるので、そう考えると嬉しいことではあるのだが。
 はは、と可笑しそうにリノは笑いながら座り直して足を組み、そのまま真っ直ぐに律を見る。その瞳の紅は、彼が描く魔法陣の色ととてもよく似ていた。

「ではリツ。君は、シャロン=マスカレードという人物の話を聞いたことがあるかい?」