廃校への侵入者の話 02

Session Date:20200125

 門から外に出ることができない。
 青年の訴えについてキブレに確認してみたところ、「俺は出て行って欲しいからそんな設定はしてない」という返答が返ってきた。それはその通りで、そもそも依頼がそういう内容なのだ。出て行ってもらえないのでキブレは困っているという話なのだから、これは主催している『彼岸』の方で何らかの干渉があるのだと考えた方がよいだろう。
 ひとまず申し訳ないとは思いながらも、青年には教室から動かないように半ば脅迫のように言いつけて、尚且つ嫌な雰囲気の赤いスマートフォンは魔術で干渉して壊しておいた。念には念を――この場所を記録して広められるのは、そして律と陵の顔が晒される危険性があることは避けておきたい。言っても聞かないだろうとも思ってしまう。
 一通り1階を調べ終わった後、律と陵は2階へと上がる。2階には図書室と理科室、そして2-1から2-3の教室と、1階にもあった扉の飾りがついている壁。図書室と理科室には『アリス』の『ケンゾク』が住み着いている。この『領域』は確かにキブレのものだが、本人の力が弱いせいもあるのか『アリス』もこの場所を根城にしている。今日に限っては『アリス』は恭と憂凛のところにいるだろう――つまり今は、ここに『アリス』はいない。
 顔見知りではあるので、『アリス』の『ケンゾク』から話を聞いてみたものの、然程情報は得られなかった。確かに最近校内がやたらと騒がしいこと、そして自分の『領域』に人を引き摺りこんでしまう彼らが、引き摺り込んだ相手をどうすることもできないこと。
 そんな話を聞いてから、今度は2年生の教室を調べるべく扉を開き。

「「あ」」

 声が重なった。
 教室の中にいたのは、茶髪に緑のカラーコンタクトが入った『サイコメトラー』の青年。そして青年の肩に乗っている天使の翼の生えた『彼岸』。見た瞬間に、がらっと見た目は変わっていてもそれが『誰』なのか律は理解していた――が、しかし。

「初めまして」
「……ハジメマシテ」

 彼は律が知らない『彼』であり、そうでなければならない事情があることは知っているので、先手を打っておく。少しだけ困ったような表情をしながら、しかし特に迷うこともなく彼も同じ挨拶を返してきた。自分が置かれている状況を一番よく知っているのは彼自身だ。

「……その節は大変お世話になった気がするので初対面の方ですがありがとうございますと言わせてください」
「何のこと? 知らないな」
「そちらの方も初めまして。ええと色々とお世話になりました本当にありがとうございます初対面ですけど」
「ハイハジメマシテ?」

 こういうことに陵は慣れていないのだろう。ぎくしゃくとしているのが目に見えて分かって心配になるが、知らぬ存ぜぬを通しておく。
 しかし律が知る限り、彼は現在海外を拠点としていた筈だ。事情があってわざわざ帰ってきているのだろうが、そこは律が踏み込むべきところではないだろう。今彼から得るべき情報は。

「何でこんなところに居るの?」
「あ、ええと、厄介な呪いに掛けられたようで……」
「えっ厄介な呪いに掛かってるのに!?」
「いやいつも掛かってる呪いはそれはそれとして別の話ですこれは! ていうか好き好んで掛かってるわけじゃないんですよ俺だって!? 俺だって……本当に振り払っても振り払っても追いかけてくる……」
「おちつけはやとー、へこむなおちるー」

 肩に乗ったままの『彼岸』がぽんぽんと青年の頭を撫でる。知らない間にいいコンビになったのだな、と彼らの始まりを知っている身としてはどこかじんわりと温かくなる光景だ。

「何か最近妙な視線を感じてたんですが、ストーカー的なアレじゃあないなと思っていて。色々考えているうちに、気がついたらここに引き摺りこまれてたんですよね。脱出しようとしても正門から出てすぐに戻ってきてしまうので、恐らくここで何かを解決しなければいけないんだろうと思って調査をしていたところでした」
「そう。何かあった?」
「有効そうな手掛かりは今のところ何も。色々調べてはいるんですけど……。かやしっ……んん、初対面なのでお二方の名前を知りませんでした」
「あ、若頭です」
「組長です」
「ぶっ」

 彼が思い切り噴き出して、つられて笑いそうになる。しばらく持ちネタになるかもしれない、と思いつつも、配信者の青年がいる限り迂闊に名は名乗れない。
 彼も『サイコメトラー』とはいえ、『ウィザード』の事情には明るい。律が名前を言えない事情は何となく察しがつくのか、それ以上深く聞いてくることはなかった。代わりに柊 隼人です、という自己紹介と、肩に乗せている『彼岸』は堕天使の『カミ』でライアーという名だと教えてくれる。知っている情報であっても、形式的なものはやはり大切だ。

「それにしてもお二人の方こそどうしてこんなところに? お二人なら引き摺りこまれる前に引き摺りこんでくる相手ぼこぼこにしそうなんですが……んんっ、初対面なので見た目の! 印象の話ですが!」
「まあ私たち組長と若頭ですからね」
「んー、実はちょっとね……」

 現在の状況を彼――隼人に掻い摘んで説明しておく。話している最中でふと思い出して「誰がりつえもんだ誰が」と愚痴を口にしたところ、隼人からまたひと笑い取る状況になってしまったが。しかしそうして彼が笑えるのはいいことだ――一時期は本当に悲壮な顔をしていたことを、知らない顔をしながらも知っている。
 しかし、『サイコメトラー』である隼人はその能力故に調査能力が非常に高い。にもかかわらず、今のところ何の情報もないというのは困った話だ。何かいそうなところはとりあえず避けているというので、『アリス』の『ケンゾク』がいる図書室は大丈夫だと教えておく。そういった大丈夫だと分かっている場所があるのは、精神的に余裕が持てるので。

「……現状、脱出の手掛かりは特にない、ということですね」
「隼人くん含め、誰かが解決しなければならないということでしょうね」
「だねー。柊くん、一緒に行く?」
「はい、是非。……お二方ならきっと解決するでしょうし、特に若頭さん手段問わないところあり……何でもないです……」

 何も聞かなかったことにしよう、と心に決めて。
 何だかんだと話しながら、隣の教室の扉を開いて――3人の視界に入ったのは、争った形跡と血痕の残った部屋だった。


「お久しぶりでーす! 来てたんですね! あ、お菓子食べます?」
「いやいらない」

 更に階段を上って3階、その先にあった家庭科室にて。
 家庭科室の主であるカイーーちなみに彼が提供する菓子を人が食べると発狂するか死ぬかの二択になってしまう――にて、いったん休憩を取ることにした。菓子を食べないと伝えると悲しそうな顔をするので、気を使った、というよりは実情を知らない陵が「食べて大丈夫なやつですか?」と聞いてきたので、首を横に振る。律が陵に説明する隣で、隼人は「何を食べても砂の味しかしないので」と断っていた。
 実際に見た目は非常に美味に見えるのだが、『彼岸』に『食べ物をもらう』という行為自体勧めにくいことだ。
 2階に争った形跡はあったが、それ以上情報を得ることはできなかった。ひとりやふたりでちょっと争ったというような雰囲気ではなく、何人かいるだろうというのは3人で共通した見解だ。

「お菓子美味しいんで一回食べてみましょうよー」
「本当にいらないから。ごめんね、好意だけ受け取っとく」
「ええー……あ、じゃあそこの」
「は?」
「ライアーやめてあれ圧を掛けるんじゃないお前よりだいぶ年下だやめてやれ、年上として寛容さを持て」

 無謀にもライアーに菓子を勧めるカイに苦笑しつつも、さてどうしたものかと腕を組んで。
 家庭科室に入る前に調べた部屋には、大量の人体のパーツがある部屋だった。乱雑に食われた痕跡のある、ヒトの身体。大型の獣が食い散らかしたというようなものではなく、そこに残っていたのはヒトの歯型だ。恐らくかじり取られたのだろう。途中で腹が膨れたのか、それとも不要だったのか、食い捨てられたようなものもあって気分が悪い。
 しかし、散らかっているパーツの中に頭と心臓だけは全く見当たらなかった。その部位を優先して食べられているのか、それとも。

「カイくん、最近ここに来たやつの情報持ってる?」
「ん? あのね、僕のお菓子食べても死なない子が結構来てるんだよ! すっごい嬉しい!」
「……そっかそっか」
「でもね、そういう子たちは別のに食べられちゃうから、僕のお菓子をまた食べてくれたりっていうのはないんだよねえ……」
「別の存在ですか?」
「うん、そう。あっちの部屋に行っちゃうと食べられちゃう」

 あっち、とカイが指差す方向は、先ほど3人が調べた教室の方だ。つまりそこに何かが居た――ということなのだろう。何か、というよりは恐らく主催の『彼岸』だ。せっかく食べてもらえたのに、と少ししょんぼりとした様子のカイには申し訳ないが、それは今までで最も有益な情報だ。

「食べるヤツの姿は見た?」
「うーん。よく分からなかったんだよねえ、何かすごいぐちゃぐちゃしてて……」
「ぐちゃぐちゃ?」
「そう、ぐちゃぐちゃ」

 意味が分からずに眉を寄せたよころで、カイにはそれ以上に表現できる言葉がないようで、律は陵と顔を見合わせる。ぐちゃぐちゃ、というのは何を指した言葉なのだろうか。そんなことより、とお勧めらしい菓子を並べ始めるカイのことはひとまず置いておく。まだ死にたくはない。

「……ちなみにそれってどっか行ったか見てた?」
「え? あっちに行くのは見たよ」

 今度は律たちが上がってきた方角とは逆方向を指差すカイに、そっか、と頷いて律は立ち上がる。それならばもしかするとそろそろ会えるかもしれない。もう行くのかと残念そうなカイと別れて、別の教室を探索すべく家庭科室を出る。
 目的地はひとまず、隣の教室。もはや何の教室なのか全く分からないその部屋を開けて、――そこにいたのは一人の男だった。

「わっ」
「……誰?」

 この状況を見るに参加者の一人なのか、或いは。男から醸し出されている雰囲気は『化物』のものだ。少なくとも純粋なヒトの気配ではない。ちらりと背後の二人を伺うと、隼人が何とも言えない微妙な表情をしていた。もしかすると彼ではない彼に関わりのある相手である可能性はある。そうなってくると別の面倒が発生してしまうことを考えれば、隼人はこの場に居ない方がいい。

「……貴方はここで何してるんですか?」
「え、いや、気付いたらここにいました。不思議ですねえ」
「ふーん。それで」
「圧がすごいですよ若頭」

 陵にこそりと注意されて、思わず苦笑する。どうにも男から感じる嫌な雰囲気のせいで、気が抜けない。
 ひとまずここから隼人を離すべきか。現状隼人を一人にするのも少し不安があるとなれば。

「ねえ組長、この人には俺が話聞くから、府たちで他の教室見てきてくれない? やばそうなら戻ってきてくれていいから」
「分かりました。どこを調べた方がいい等はありますか?」
「ううん、それは任せる」

 その辺りのことは陵のことを信頼している、という気持ちも込めて。分かりました、と陵は隼人を連れて教室の外へと出ていった。教室の中には律と『化物』の男の二人が残される。
 なぜこの男はこんな場所にいるのか。主催が近くにいる可能性は高いが、彼自身に何かが起きたような形跡はない。怯えているような様子も特に見受けられない――『化物』相手に何故怯えてないのかと尋ねる気もしないが。この男自身が主催である可能性も否定はできない。話ができることは間違いがないので、ひとまず話を聞いてみるのが先決か。
 ゆっくりと息を吐きだす。頭を動かして、考え続ける。

「……それで、何でこんなところにいるんですか?」
「え、いやだから気がついたらここにいて。よく分からないんですよ、外に出られるかと思って校門まで行ったんですけど戻ってきちゃったし」
「へえ、校門まで。でも、それならどうして今は3階に? 遠いでしょう」
「いやー、こういうのって3つのエンブレム集めたら! とかそういうのあるじゃないですか。教え子もそんなこと言ってたし」

 ゲーム脳か、と思わず言いそうになったのをぐっと押し堪える。それよりも彼が発した「教え子」という単語が引っ掛かる。
 ふと思い出したのは、1階で会った動画配信者の青年のことだ。あの青年は確か会話の途中で師匠という言葉を口にしていた。『ウィザード』が師弟関係を持っているのは然程珍しいことではない。実際に律にも一人弟子はいる。もしもこの『化物』が『ウィザード』寄りか、あるいは『ネクロマンサー』寄りなんどえあれば師匠でも不思議はないとは言えるだろう。

「エンブレム揃えたら地下への扉が開いて、その地下を探すと鍵が出てくる! とかあるじゃないですか」
「いや知りませんけど……」
「まあそんな感じで特にここに何しに来たってことはないんですけど……」

 彼が言いたい説明としては、巻き込まれたということなのだろう。しかし1階で会った青年のことも気に掛かってしまう。繋げて考えるのは早計かもしれないが、カマを掛けてみる価値はある。
 そう考えている真っ最中、遠くから「隼人くん!?」という叫び声が聞こえてきた。どこかの教室で何かが起きたらしい。二人で行かせたことを申し訳なく思いながらも、陵が無事なのであれば大丈夫だろうと心配を振り払う。
 目の前の男はきょろきょろと律の顔と扉の向こうを気にしているが、気にせずに律はそのまま話を進めることにする。何かあれば戻ってくるだろう。戻ってこない限りは恐らく大丈夫だと信じておきたい。

「……ええと逆に貴方たちは何しに此処へ?」
「ちょっと調査の仕事で。貴方は誰かと一緒に来られたんですか?」
「いいえ? あ、調査ってことは此処から出る方法ってご存じだったりします?」
「いえ、特には」
「それは残念……。あ、さっきのお二人は」
「さっき大きな声がしたので恐らく何かあったのだろうとは思いますが」

 気になることは理解している。しかし律はそれなりに陵と長い付き合いを築いている。多少のことならば大丈夫だという信頼関係はあるので、なので見に行くことを勧められても首を横に振ることはできる。
 この男から聞くべきことは聞いておかなければならない。この教室から出たが最後、この『化物』は恐らくいなくなる。

「……下に師匠がどうのって言ってた子が居たんですけど、貴方が今教え子って言った子ですかね?」
「え?」
「何か動画の配信してるらしい、金髪に黒いマスクした若い子だったんですが」
「……、多分知ってますその子。僕の教え子だと思います……、え、でも、彼が来てるんですか?」

 しらばっくれるかもしれないと思っていたが、男は少し考え込んだ後に素直に肯定した。誰かと一緒に来たわけではない、というのは本当だろう。男の何でいるんだろう、とでも言いたげな表情が演技ではないのなら、だが。

「こんなところに居ないで、知り合いが居た方が貴方も心強いんじゃないですか?1-2の教室に居ますよ、動いてなければですけど」
「そりゃあ心強いですが……え? 彼来てるんですか? 本当に」
「嘘だと思うなら下まで行けば分かりますよ」
「うーん……」

 逡巡。さてどう出るか、と律は黙って男の動向を見つめる。相手が本当に弟子なのであれば会わない理由は特にないようにも思えるが、こればかりは分からない。しかし、律と目を合わせた『化物』はゆるりと笑った。

「情報をありがとうございます。行ってみますね」