Re;Tri ― Ruler

01 白兎と賢母

 蒸気機械都市ザラマンド、火の大精霊『八脚蜥蜴』のお膝元であるその都市を拠点とする魔術犯罪抑止庁ルーラー遊撃部ゼーレ副隊長、魔術を己の肉体に用い変異させる能力を持つ輪廻士、『白兎』の異名を持つ者。それがランドルフ=キャロルという人物である。
 彼について分かっていることはあまり多くない。ノスタリアの中では精霊の色と尊ばれる白髪紅瞳のノスタリアであること、就任初日に空席だった遊撃部ゼーレの副隊長に抜擢されていること、輪廻士はその能力の特性上抑止庁の制服の改造を許されているが、その制服の改造に置いて背中が大きく開いた女性用の裾の長い夜会服のような上衣を着用し、ゼーレ隊の隊章があつらわれた大判の布を羽織り、一見動きにくそうな針踵の革長靴を履いていること、愛機として従来四足駆動である『グリフィン』を二輪駆動の『フェンリル』に改造して乗っていること、そして滅多にその姿を見ることはないが輪廻士として完全変異を使用すると白獅子に変異すること。もう少し調べれば一等戦闘官と遜色ない戦闘力を持ちながら自らの意思で二等戦闘官の地位にいること、ザラマンド南部の高層住宅街の一角に住居があること程度までは調べがつく。
 だが、『そこまで』だ。

「抑止庁に入るまでの経歴が本気でまっさらっていうのは時々いるが、総じて大概が化け物なのが困るねえ」
「あら。誰のことかしら、失礼ね」
「自分のことだって分かってるじゃないか。アンタもアンタのとこの隊長のニギ坊も、他にもごろごろ色々いるけども」

 場所は抑止庁内、初動部シトロス執務室。
 先日起きた事件で、遊撃部シトロスの捜査の後を遊撃部ゼーレが引き継いだ件についてランドルフが報告に来たのが事の始まりだ。隊長である金髪橙瞳のジェニアト、『賢母』シトリア=シトロスと事件のあらましや戦闘の発生箇所等に齟齬がないかの確認を行い、一息ついた時にふとシトリアの頭に浮かんだ独り言。
 シトリアは初動の部隊長となって――そもそも抑止庁に入庁して長いが、ランドルフが現れるまで白髪紅瞳のノスタリア、本物の『白兎』が実在するという噂を聞いたことは一度もなかった。純白の髪に深紅の瞳。それに『近しい』色であれば、抑止庁に入庁した人間の中にも何人かはいたが。
 人の口には戸が立てられない。稀な色彩の者がいるとなれば、大なり小なり必ず噂になる。そしてザラマンドで噂になれば、大抵のことはシトリアの耳に入る。

「ま、詮索するつもりはさっぱりないんだけどね。あんたのことはどうせヘレシィ辺りが根掘り葉掘り調べたのになにも出てこなくて地団駄踏んでそうだし」
「どうかしらねえ。あの人なら意外と全部知ってるんじゃないかしら」

 二人の脳裏に浮かんだのは『化物』の異名を持つ諜報部ジェファ隊長、ヘレシィ=ジェファの顔である。すぐに振り払って、シトリアは苦笑した。

「思ってもないことを言うんじゃないよ、全く」

 ふふ、と笑うランドルフに、わざとらしく肩を竦める。ランドルフはかわし方が上手い。相手に違和感も不快感も感じさせずに話題を逸らしているのを何度か見かけている。それはランドルフ自身が培ってきた手管だろう。話し方、声の雰囲気、立ち居振る舞い、その全てで「隠されている」「誤魔化されている」という印象を消し去ってしまう。話す気がないのだということは理解出来るのに、それ以上を問い詰めるのはやり難い。明確に線を引き、悟られず己の側に踏み込ませない方法を知っている。

「……ちなみになんだけど、キャロルは適性的にはヘレシィのとこだったんじゃないのかい。まあ人事会議でニギ坊がひと暴れふた暴れしたのは知ってるが」
「それはどうなのかしら。私が遊撃に入ることになった理由は長官にもあるようだったから」
「ああ、何となく分からなくもないけどもね……成程、だからか」
「何が?」
「いいや、何でもないよ」

 ランドルフに問うたところで、はぐらかされるのは目に見えている。それならばわざわざ問うだけ無駄というものだ。こちらの中で納得していればよいだろう、とシトリアは心の中で呟いて、溜息を吐いた。
 ――成程皆、一筋縄ではいかない。