One Last P"l/r"aying

prequel:柳川恭の場合

 恭が持っている一番古い記憶は何だろうか、と思い返した時、必ず思い出すのは3歳の頃のある日の出来事だ。律に言わせれば「そんなこと有り得るの?」という、その出来事。
 当時の恭はテレビでやっていた特撮ヒーローに憧れているような、どこにでもいる3歳児だった。大きくなったらナントカレンジャーになる!と宣言しているのを、大人が微笑ましく見守っているような。
 当時玲は10歳で、恭のナントカレンジャーごっこによく付き合ってくれていた。わざわざ恭にやられる怪人役を引き受けてくれる玲と遊ぶのは楽しくて、恭はよく玲に公園に連れて行ってもらって2人で遊ぶことが多かったのを覚えている。
 その日、偶然恭と玲以外に公園に人はいなかった。人が居ないことに大はしゃぎしながら恭は滑り台の上に登って、玲に向かって出たなナントカカイジン!みたいなことを言いながら、へーんしん!と叫んでポーズを決めた。その後は少しジャンプして滑り台を滑ってかっこよく登場するのだ、なんてことをぼんやりと考えていた記憶がある。
 そこまでは――本当にそこまでは、いつもの光景だった。
 異変が起きたのはその次の瞬間。恭は本当に『変身』していた。当時憧れていたナントカレンジャーの赤レンジャーによく似た格好だった。それに対して、玲が呆然と恭を見ていたのを覚えている。当の本人である恭は何が起きたのかさっぱり分からなかったが、とにかく本当に変身出来た!俺もナントカレンジャーになれるんだ!と結構舞い上がっていたように思う。

 そこで一旦、恭の記憶は途切れている。

 当時既に『ウィザード』の力に目覚めていた玲に気絶させられたのだ。10歳にして自分が人とは違う力を持っていることを知っていた玲は、その力のことを恭はもちろんのこと両親にも言っていなかった。恐らく誰にも話していなかっただろう。話してはいけないことだと知っていた。だからこそ突然『変身』した――『ヒーロー』としての力に目覚めた恭を黙らせる為にその手を打ったのだと、今なら分かる。
 気絶させられ、目が覚めたら玲にいきなり胸倉掴まれて二度とするな、絶対人前でするな、今日あったことはお姉ちゃんとの2人の秘密だ、友達とヒーローごっこするのも禁止だ、誰かに言ったらぶっ殺す。そんな風にまくしたてられ、恭は恐怖で号泣した。号泣しながら絶対にもう二度としないと玲に誓った。当時の恭はまだ3歳だ――トラウマになるほど、その時の玲は怖かった。お陰でしばらく恭は特撮ヒーローモノが見れなくなった。見るとその時の恐怖を思い出してしまうようになってしまったせいだ。


 その後、そんなことなかったこととして扱われ。話が動いたのは恭が小学5年生になった頃。大学に進学して家を出ていた玲は、その日突然家に帰ってくるなり恭の部屋に入ってきた。

「あれ姉貴、帰ってきてたんだ」
「聞いてくれ恭」
「なにー」
「うちの大学に有名な『ウィザード』の家のヤツが入学してきたんだ!」
「……うぃざーど……?」

 何それ。と思った恭のことはおかまいなしで、玲はとても嬉しそうだった。3歳のあの日以来、『此方』のことに関しては一切ノータッチ、何も知らないまま生きてきた恭には何の知識もないことを玲は忘れていたらしい。恭の想像でしかないが、玲自身は一人で色々と『此方』のことをしていたようで、恐らく『此方』の知り合いもいるにはいたが、『ウィザード』の知り合いはいなかったのだろう。だからこそ、思わず恭に報告したくなったのかもしれない、と思っている。
 それをきっかけに、恭ももういい年齢だから――と、玲が恭に『此方』のことについて教えてくれるようになった。
 この世には『サイキッカー』『神憑り』『ウィザード』『仙人』『半人』『エクソシスト』『ヒーロー』『ヒロイン』『陰陽師』『ヒーラー』『化生』と呼ばれる『此方』の裏の『生業』と呼ばれるものがあること。その力が目覚める理由は人それぞれで、代々家系とか血筋で持っているものもあれば、恭や玲のように突然目覚めることもあること。玲の力は『ウィザード』と呼ばれるもので、恭の力は『ヒーロー』と呼ばれるものであること。
 『此方』の力を持っている者は大抵人に害を及ぼす『彼方』と呼ばれる者や、『彼岸』と呼ばれる気まぐれな『カミ』――怪異や悪霊、その『シモベ』と呼ばれる手先を倒すような仕事をしていて、そうした理由から存在というよりは職業として扱われていること。あまりにも精神的ダメージを食らい過ぎると、心を喪って『彼方』に引き摺られて堕ちてしまうこと。引き摺られるとそれぞれ『サイコジャッカー』『憑物筋』『ネクロマンサー』『邪仙』『半妖』『ディアボロス』『魔人』『魔女』『外法使い』『シャーマン』『化物』と呼ばれる存在になってしまうこと。
 『此方』の者も、『彼方』の者も、それぞれの方法で『彼岸』の力を借りたりして戦っていること。そのうちちゃんと分かるよ、と玲は笑っていた。
 恭には難解な話で全く理解はできなかったが、そういうものがあるということだけは理解した。大学に入学してきたその『ウィザード』と玲は仲良くなったようで、『カヤシマ』という名前であるということは散々名前が出てきたお陰で覚えることができた。仕事の話以外は両親の前でもしていたから、玲はよほどその後輩のことが気に入ったのだな、と思った覚えがある。
 『カヤシマ』、ピアノ専攻の後輩。『ウィザード』。結構派手な金髪で、『ウィザード』としてはかなり有名な名家の育ち。恭には仕事での話をすることもあり、その人は玲に結構振り回されているのだなという印象で、大変そうだと思いながら聞いていた。

 そしてあっという間に『その日』は来る。卒然旅行だと突然言い出してロンドンに行っていた玲は、その後ふらりと実家に戻ってきた。
 目的は、恭に会うためだった。中学生になっていた恭はちょうど陸上の大会を控えていて、日々練習に精を出していたこともあり帰りが遅く、玲に不機嫌な顔で「遅い」と言われた。抗議したかったが機嫌が悪そうなので適当に謝罪すれば、大きな溜め息。

「恭。お前に少し話がある」
「んー?」
「私に何かあったら茅嶋を頼れ。いいな?」

 突然――本当に突然だった。真剣な表情で、有無を言わせない口調で、玲は恭に告げた。勢いに圧倒されて頷いた恭に、よし、と玲は自己完結していて、何がよいのかは全く分からない。
 その言葉自体は、これまでに何度も言われたことがあることだった。せっかく知り合いになった『ウィザード』だからいつか恭にも紹介したい、というような。冗談じみた口調で、ずっと言われてきたことではあったが――この時はそんな感じではなく、本気で言っているのが分かる。

「何姉貴、急にどうした……?」
「……お前は一応『ヒーロー』だからな。馬鹿でも『此方』の人間だ。いつまでも私がお前を守って『此方』の世界から遠ざけてやれるわけでもない。そういう時に茅嶋のことを頼ればいいって話だよ。……ほら、私も来年からは社会人で忙しいし」
「えー……今そんな話し方じゃなかったじゃん……」
「こんな力持ってちゃ、いつ何があるか分からないんだよ。……だから、言っておかないとな」

 そう言って、玲は笑った。その笑顔が少しぎこちなくて、玲はこれから自分に起こることを、もしかしたら何となく知っていたのかもしれない。何度聞いてもそれ以上は教えてくれず、食い下がる前にじゃあな、と玲は家に帰っていってしまった。

 そして玲は帰らぬ人になった。
 意味が分からなかった。ついこの間まで元気だったのに、突然倒れて、意識不明になって、そのまま死んでしまった。それでも何となく仕事に関わることで死んだんだろうな、ということだけは、辛うじて恭にも理解は出来た。
 両親にはそんなことは当然言えなかったし、恭には意味も分からず泣くことしか出来なかった。玲の仇を討てるほど、恭は『此方』の事情に明るいわけではなかった。
 何も知らない、ただの無力な子供だった。

 そして訪れた、玲の葬式の日。そこに律は現れた。玲の言っていた通りの派手な金髪で、そして見るからに普通とは違った。『此方』の人間だと恭でも見ただけで分かる『何か』があって、見た瞬間にすぐにこの人が玲の言っていた『カヤシマ』だと、すぐに分かった。隣には付き添ってきたのか、それとも元々玲の知り合いなのか、もう一人男の人が立っていて。「りっちゃん」と親しげに呼ばれたその名前が引っ掛かって、恭の心に残った。
 恐らく怪我をしていたのか、ずっと足を引き摺るように歩いていて。それでも玲の棺の――遺影の前で、唇を噛み締めたまま、その時律は確かに、玲に話しかけていた。
 何を話していたのだろうか。恭が律を頼れば、いつか玲の仇を討つことが出来るのだろうか。気になって仕方がなかったし、とにかく一度話したいと思った。しかしその時は場の雰囲気もあり、色々とばたばたしていて、恭は結局その時は律に話しかけることは出来なかった。

 何も分からないまま1年が過ぎる。何も出来ないまま1年が過ぎる。
 中学2年生になって、恭はむしゃくしゃする気持ちを晴らすようにがむしゃらに陸上に打ち込んでいた。
 走ることに集中していれば、何もかも忘れられたから。玲が恭に『茅嶋を頼れ』と言った本当の意味や、律が辛そうな表情で玲に話しかけていた意味、玲が死んでしまった理由。――恭が、今のところ全く使い道のない、『ヒーロー』の力を持っている意味も。
 そういうことを何もかも忘れたくて、とにかく走っていたら記録がぐんぐん伸びていた。このまま陸上を続けて推薦で高校に、という話になりつつあり、そうしていたらこのまま忘れられるのかもしれない、と考え始めたある日。

「恭ー、お姉ちゃんのお墓参り行くからたまにはついておいで。今日は休みでしょ」
「はいはーい」

 夏の暑い日だった。
 母に連れられて、恭の月命日に墓参りに行った。――そこに、律は居た。
 1年前と何も変わらない、派手な金髪で。真っ黒なスーツに身を包んで、玲の墓の前で手を合わせていた。

「あ、茅嶋くん。今日も来てくれてたのね」
「どうも。お久し振りです」

 母と律は何度かこの場所で会っていたようで、母を見た瞬間にふわりと笑った律の表情が印象的だった。恭の中ではずっと、唇を噛みしめる律の表情だけを覚えていたせいだろう。母に挨拶をした律の視線が、恭の方へと移る。一瞬だけあ、という顔をして、けれど何もなかったかのようにその表情は消えた。この瞬間に恐らく、律は恭が『ヒーロー』であることに気がついたのだろう。

「……ええと、玲先輩の弟さんの」
「はい!柳川 恭っす!」
「俺は茅嶋 律です。よろしくね」
「あ。だから『りっちゃん』」
「え?」
「あの!えーっと!りっちゃんさん!って呼んでもいいっすか!」
「……さかなクンさんみたいだね?」

 律はぱちぱちと目を瞬かせていたものの、好きに呼んでいいよ、と返ってきたのでその言葉に甘えることにした。――その時に少しだけ、話を聞いた。毎月、月命日に必ず玲の墓を訪れていること。お世話になったから、と律は笑って言ったが、それだけではないだろうことは容易に想像がつく。
 『ウィザード』。恭が知らない世界で、律と玲は何をしていたのだろうか。
 知りたいと思った。ただただ知りたかった。恭が知っている『此方』の世界は、玲が話してくれたことだけだったから。

「あの、りっちゃんさん」
「ん?」
「今度色々お話聞かせてくれないっすか?……えーと、『此方』?の?」
「……、玲先輩に何か聞いた?」
「何かあったらりっちゃんさん頼れ、って、それだけ言われたっす」
「そっかあ……」

 ほんの少し、悩むように律は空を見上げた。その時律は何を思ったのだろうか。もしかしたら言わない方が良かったのかもしれない、と思った次の瞬間、律は携帯を取り出していた。

「恭くんさ、携帯持ってる?」
「あ、ハイ」
「じゃあ連絡先交換しない?」
「はい!」

 連絡先の交換を済ませると、じゃあ今日はこれで、と律は帰っていった。今はバーでバーテンダーのバイトをしているらしいと聞いたのは、その後母が教えてくれたことだ。時々墓参りの際に会っているようで、その時に色々と話を聞いているのだという。近所のおばちゃんみたいだと言ったら頭を小突かれた。

 ――それから。
 やはり、何も変わらない日々が続いた。律には時々メールを送ってみるものの多忙のようで、会うとなるとどうしても玲の月命日に墓参りで、という形になってしまう。恭としては部活との兼ね合いもあり墓参りにはなかなか行くことも出来ず、結局律に何も聞けないまま時は過ぎて、また1年。
 スポーツ推薦で、恭は高校を決めていた。その高校があるのは、玲が住んでいた街や律が住んでいる街に近い、私立の男子校。スポーツで有名で、何人か現役のプロ選手も卒業している有名校だ。通学には家からだと2時間近くかかることになるが、恭は両親を説得してそこの高校に進学することに決めたのだった。
 そうすれば律に会えるし、話を聞くことも出来る。
 大学の卒業式を控えている律はバーテンダー兼ピアニストとしてバーでバイトをしていて、その傍らで仕事をしているということは、本人から聞いて知っていた。向こうの高校に進学したら、時間が合えば律の話は聞きやすくなるだろうし、仕事を見ることも出来るかもしれない。玲がいた世界に触れることが、出来るかもしれない。
 いつまでも無力な子供のまま、玲の言いつけに従って『此方』の世界には近づかない生き方をしてきた。それももう終わりだ――どうしても、知りたい。
 玲がどうやって生きていて、どうして死んでしまったのか。恭に『ヒーロー』としての力が備わったのは、何の為だったのか。
 全ての鍵は律が握っている。恭はそう考えていた。

 そして春は来る。恭は高校生になり――そして『此方』の世界へと、足を踏み入れる。
 恭の世界が、動き出した瞬間だった。