My Variegated Days

12

 連と話し込んだ後、帰宅してそのままベッドへとダイブする。律の家から行き来するのとは違い、やはり学校から実家までとなるとかなり時間が掛かってしまうせいで、大分と睡魔に襲われてしまう。眠気で遠のきそうな意識の中で、連に言われたことが頭のなかをぐるぐると回っている。
 どうするつもりなのか、自分では全く分からない。とにかく憂凛に元気になってほしい、ということしか考えていなくて、それ以上のことは考えるのをやめていた。これからどうなっていくのかも分からない。憂凛と元通りの関係になれるのかどうかも、やはり分からないのだ。
 ――だから、そんなことを言われても。

「……アリスちゃーん」
「なあに?」
「ねえ、好きってなに?」
「……ねえ、どうしてそれを私に聞こうと思ったの……?」
「いや、女の子だから詳しいかと思って……何かごめん……」

 聞く相手を間違えていることは重々承知している。呆れた目で恭を見る『アリス』に苦笑いしたものの、しかし他に聞ける相手もいないのだ。『分体』に聞いても仕方がないこととなると、今相談できる相手は『アリス』しかいない。

「自分で考えなさい」
「……ですよねー……」
「……ひとつ確かなことは、あの子は恭くんのこと、本当に真っ直ぐに大好きな子だって思う」

 眩しいくらい、と付け加えて、『アリス』は笑う。その笑顔はとても優しくて、『アリス』もずっと知っていたのだなということを思い知らされる。
 皆知っていた。恭だけが何も知らずに、何も気づかずにいた。馬鹿だな、とここ最近そればかり思ってしまう。

「本人から告白された訳じゃあないんだから、今まで通りにしてあげた方がいいんじゃないかしら」
「……いままでどおり?」
「そう。あの子は恭くんが気付いていないことを知っているし、皆にバレていることだって知ってるのよ、頭の良い子なんだから。それでも直接告白しないのは、怖いからだろうし」
「怖い? 何で?」
「告白して自分の気持ちが知られてしまったら、OKを貰えるならハッピーエンド。でも駄目だった時、今まで通りの関係じゃいられなくなるでしょう?」
「……あ」
「気付かれなくてもいいから、あの子は貴方の傍に居たいのだと、私はそう思うけれど」

 そういうふうに言われてやっと、そういうことかと理解する。もし憂凛に告白されていたら、果たしてどうなっていただろうか。恭は憂凛に、何と答えていただろうか。
 しかしきっと、明確な答えは返せないだろう。分からない、と答えるのが精いっぱいで。けれど憂凛とは一緒にいたいとも思う。一緒にいて、楽しいから。しかしそれが友達としてなのか、それとももっと違う感情なのかというところになると、難しくて恭には分からない。はっきりしないまま、きっと憂凛を傷つけることになる。

「……何にしろ、会えないことには、かあ」
「……大丈夫よ、きっと」
「うん……」
「……らしくないわね」
「アリスちゃんまでそんなこと言う……」

 らしくないと言われても、どうしているのが自分らしいのかももう分からない。考えながら待つだけの時間は、何の答えも示さないままただただ過ぎ去っていく。


 それから一週間後のことだった。

 【今日時間あるか】

 昼過ぎに急に届いたそのメッセージは渚から。学食を食べながら半分寝ていた恭は、その通知を見た瞬間に一気に目が覚めた。

 【ゆりっぺ調子どうですか 大丈夫ですか】
 【うるせえ 時間あるかないか聞いてる】
 【5時過ぎまで部活です】
 【じゃあその後でいい 学校まで行く】

 わざわざ来るのか、と思ったが、渚はこの学校の出身だ。何か後輩たちにも用事があるのかもしれないので、あまり触れないでおく。
 この調子では恐らく、憂凛が元気になったという報告ではなさそうだ。改めて怒られるのだろうかと思うと気分は落ち込むが、それだけのことをしてしまった自覚はある。怒られるにしろ、今の憂凛の様子が少しでも聞けるならそれに越したことはない。今の恭には、何も分からなさすぎる。
 その日の部活には結局ほとんど身が入らず、顧問には怒られ連には呆れられるような状態ではあったものの。何とか部活を終えてスマートフォンを見ると、【校門で待ってる】という渚からのメッセージ。すぐにそちらに足を向けると、数人の生徒に囲まれている渚の姿が見えた。

「カヲル先輩たまには部活見に来てくださいよー」
「俺はもう引退したしもうやってねえの。俺が見に行って何になるんだよ」
「俺らの気合いが入る!」
「馬鹿か」
「いいじゃないですかあ。たまにはほら、気分転換に遊びに来てくださいよ」
「うっせえ。お前らがカヲル先輩って呼ばなくなったら考えてやるよ」
「つれないなあ」

 どうやら囲んでいる生徒は渚が所属していた部活の後輩のようだった。面倒そうに受け答えをしている渚はいつも通りの渚で、少し安心する。聞きなれないあだ名だな、と首を傾げていると、渚の視線が不意にこちらを向いた。あ、と口を開きかけた瞬間、渚の雰囲気が変わる。冷ややかな視線に、恭の体が固まる。

「……よ、柳川」
「……ども……」
「じゃあな、お前ら。しっかりやれよ」
「はーい。じゃあまた来て下さいよ、カヲル先輩!」
「うっせえっつの。……ここじゃあれだから、来い」
「ハイ」

 部活の後輩たちに手を振って歩き出す渚の後ろを、恐る恐るついていく。渚の様子は怒っているというよりも、とっくにそんなものは通り越してしまっているように見えた。
 憂凛は大丈夫なのだろうかと、どうしても意識がそちらにいってしまう。しかし憂凛に何かがあれば、恐らく琴葉からでも知らせは入るだろう。何も言われていない現状、更に大きな問題が起きているとは考えたくない。
 前を歩いている渚に声は掛けづらく、恭は黙って渚の後ろをついていくことしかできない。渚は恭を振り返ることなく歩いていく。どこに行こうというのだろうか。景色は見知った風景で、別段変な場所に連れていかれるわけでもないだろうが、どうにも怯えてしまう。
 そんな恭の不安をよそに、渚はどこにでもあるコーヒーのチェーン店へと入っていく。あっけにとられる恭をよそに、コーヒーを注文してさっさと渚は席に座ってしまった。慌てて恭もジュースを注文して、渚の正面に腰を下ろす。
 一体何から話せばいいのか。どうしようもなく、気まずい。

「……えっとあの、松崎先輩、ゆりっぺ、は……」
「退院した。昨日から学校にも行ってる」
「!」
「ただ情緒不安定だからな。すぐ泣くしすぐ怯えるし、……なかなか近づけない」
「……え?」
「自分が堕ちて、誰かを『また』傷つけるのが怖くて、よく知ってる俺や琴葉先生からはどうにか離れようとする。院長先生や三条さんが宥めて取りなして色んな話をしたり、『ヒーラー』や『ディアボロス』の力で精神的に安定させて、まあ何とかってとこ。現状そんな感じ」
「……そう、すか……」

 それでも、学校に行ける程度には回復しているということだ。すっかり元気になったとは言えないことは分かって、胸が締め付けられる。恭に会うのは、きっとまだまだ無理だろう。
 会ったところで何を話せばいいのか。しかし憂凛に会えないままでは、何もすることはできない。

「……今回の件の事の発端は本当に『カミサマ』の気まぐれってやつだ。理由も動機も特にねえ理不尽なもんだよ。『何で』なんて聞くだけ無駄だ」
「……無駄、っすか」
「ああ。たまたまお前と憂凛が目をつけられて、たまたま憂凛のことが好きだった宮内も目をつけられて、お前ら3人、『カミサマ』の玩具にされて掌の上で踊らされてたってやつだ。だから憂凛がこうなったのも、白根のせいであって、お前の責任じゃない」
「……でも」
「でも、俺はどうしてもお前のことが許せない」

 続いた言葉に、はっとして顔を上げる。渚の表情は冷たい。冷ややかで、しかし何とも言えない表情で、真っ直ぐに恭を見ている。
 ――憂凛と一緒にいたのに。もっと恭がしっかりしていれば。『半妖』になってしまっていた憂凛に、あれほど無防備に近づくようなことをしなければ。憂凛に喰われてしまうような状況に陥っていなければ。そうすれば、もっとマシな状況だったかもしれないから。
 結果論だ。後から考えても仕方のないことではあって、けれどもっと方法はあった。

「……どうやってお前を許せばいいのか、分かんねえんだよ。お前のせいじゃないって分かってるし、何なら憂凛自身の責任でもある。でもお前がついてて何で憂凛がこんなことになってんだ、って思うし、今の憂凛見てるとお前のことぶん殴りたくなる」
「……松崎先輩」
「アイツ泣かせて、苦しませて、……何でアイツがこんな目に遭わなきゃいけないんだ」

 溜め息ひとつ。恭から視線を逸らした渚は、そのまま目を伏せた。何も言うことができない。渚の言葉に、何一つ反論ができない。
 恭には、今の憂凛がどんな状態なのかが分からない。しかし渚の言う通り、誰も近寄らせてもらえないほど怯えて怖がっているのなら、それはやはり恭の責任だ。
 もっとしっかりしていれば。もっときちんと知っていれば。もっと――強ければ。

「……俺はお前が嫌いだよ、柳川」
「あ……」
「話はそれだけだ。呼び出して悪かったな」
「せんぱ、」
「憂凛が元気になったら、自分から会いに行くだろうから。……その時はいつも通りにしてやってくれ。難しいかもしんねえけど」

 ことん、と一気に飲み干したコーヒーのカップを置いて、渚は立ち上がる。何か言わなければと思うのに、口が開かない。何を言えばいいのか分からない。フォローなどできるはずもない。
 恭は憂凛だけではなく、渚のことも傷つけているのだと。その事実が重く圧し掛かってきて、動けない。

「じゃあな」

 一口も飲んでいないジュースの中、溶けた氷がからんと音を立てた。


 一体その後どうやって家まで帰ってきたのか、全く覚えていない。母親に夕飯を食べないのかと聞かれて、いらないと答えたことだけは覚えている。何か食べなければいけないことは分かっているが、食事が喉を通る気がしなかった。
 佑月がしたことについて、『何で』と理由を求めるだけ無駄だと渚は言っていた。あの様子では恐らく渚は既に郁真に話を聞いたのだろうし、佑月にも話を聞いた可能性がある。その上で無駄だと恭に言ったのだろう。渚がそういう性格の人間であることは知っている。
 ただの『カミサマ』――『彼岸』の気まぐれ。人ではない存在。『此方』とも『彼方』とも違うもの。力を貸してくれることだって、彼らの気まぐれだ。
 そんな気まぐれで憂凛は『半妖』にされ、恭は殺され。振り回されているだけで、あまりにも迷惑だ。
 この年末年始の出来事は、一体何だったのだろうか。いつも通りだったはずの日常は全てひっくり返されてしまって、何ひとつなくなってしまった。この世界の現実をおも知らされたうえに、憂凛は酷く傷つけられた。そして、渚も。
 何ひとつ――本当に、何ひとつできなかった。ただただひたすらに振り回され続けて、誰のことも守れなかった。そんな自分に宿っている力が『ヒーロー』だなんて、どんな皮肉だろう。誰も守れないのに、どうして自分にそんな力があるのか。馬鹿げている。
 せめて憂凛が少しでも元気になってほしい。その為に何かできることはないだろうか。もしまた『半妖』になって誰かを傷つけることに怯えているというなら、もうそんなことにならないように、守ってあげられる方法はないだろうか。恭自身に何もできないとしても、もっと他の方法で。

「……あ」

 ふと恭の視界に入ったのは、スポーツバッグにいつもついているチェシャ猫のキーホルダー。『アリス』を喚び出すための媒介になっているもの。
 もし憂凛がそんな危険な状況に陥ってしまっても、『アリス』が憂凛の傍にいてくれるのであれば、守ることは可能なのではないだろうか。『アリス』の強さを恭はよく知っている。恭自身はいつもついつい『アリス』に頼るのを忘れてしまうが、憂凛であれば。それは少し、都合がよすぎる話だろうか。
 一人で考えても仕方がない、と首を振る。これは恭が一人で決める話ではない。まず相談すべきは、当の本人である『アリス』だ。このままぼおっと考えているよりは、何か動いていたい。

「……アリスちゃん、ちょっと相談があるんだけど……」