My Variegated Days

01

「さっみぃ!」

 冬のある日、年の暮れ。冬休みの真っ只中だが部活はあったので、走り回って身体を温めてはいたが、片付けて帰るという段階では既に身体も冷えて寒くなってしまっている。
 恭は17歳、高校2年。3年の先輩が引退した後、部長として陸上部を引き継いでいる。引き継ぎをするとき「お前が部長だけはホントにねーわ」と散々言われたのは笑い話で、しかし実際恭は自身としてもなぜ自分が部長なのだろうという思いはある。元々この陸上部に部内で最も速い人間が部長をやるという決まりがなければ、こうして部長になることもなかっただろう。連が副部長をしてくれているおかげで、正直ほとんど任せきりのような状態になっている。

「うええ無理さっむい、もう最後の挨拶とかナシにしてとっとと帰ろうぜー連ー」
「死ね馬鹿部長」
「ひどくない!?」

 顧問から送られてきたメールを読みながら、連は恭を見ることなくあっさりとした暴言を吐く。寒さを訴えているだけなのに、とふてくされてはみるものの、仕事を代わりにしてくれている連にあまり文句も言えないので大人しくするしかない。

「よし、全員揃ったな」

 帰り支度が終われば、一旦全員グラウンドに集合。並んだ部員たちを見ながら、連が口を開く。
 陸上部は部活としては明日から休みに入る――年末年始の休暇だ。その前に年末年始の過ごし方の注意をする、というのは本来顧問の仕事だが、昨日から陸上部の顧問はインフルエンザで休みを取っている。代わりに部長に、と話が回ってきたが、それは何の迷いもなく連に丸投げしたのだった。連の機嫌がどうにもよくないのはそのせいだ。大分と怒られたが、怒りながらもきっちりと仕事をしてくれる連は優しい。

「俺からは以上ー。んじゃ部長締めろ」
「え!? 俺!?」
「当たり前だろたまにはちゃんと部長らしい仕事しろ」
「えー……ええ……? えーと、じゃあ、皆良いお年を! 怪我しないように!」
「部長が怪我しないでくださいよー」
「すぐすっ転ぶからなうちの部長」
「ほらこうなるじゃん連のばーか!」
「いいんだよそれで」

 馬鹿にされている気しかしない。それでも和やかな雰囲気になったので、連としてはそれが狙いだったのだろうということは分かる。じゃあ解散、と最終的には結局連が締めて、部活はそれでお開きになった。
 ぐう、と腹の虫が鳴く。今日のごはんは何だろうか、と思いながらマフラーに顔を埋めて校門を出る。――と、思い切り後ろから飛びかかられる衝撃。

「きょーちゃーんっ!」
「うお……っ!?」

 不意打ちで思い切り体重が乗せられた。バランスが取れるわけもなく、恭はそのまま転ぶ形になる。先程の会話が伏線になっているようで嫌になりながらも、恭は己の背に視線を向けた。ひょこ、と覗き込んでくる憂凛と目が合う。

「ありゃ。恭ちゃん大丈夫?」
「……ゆ、ゆりっぺ、どいて……」
「あ、ごめん」

 恭の背中に抱きつく形のままだった憂凛は、にこにこと笑顔を浮かべていた。憂凛が退いて背中にかかった負荷は消えて、立ち上がる。若干膝を打ってはいるが問題はなさそうだ。振り返れば、私服姿の憂凛はミニスカートだった。恭がころんだときにスカートの中が見えてしまってなければいいが、と心配になる。

「恭ちゃん久々! 会いたかったー」
「えーっと、確かゆりっぺにはついこの間、そうだクリスマスにも会った気がするなあ」
「3日も会ってないよ! 久しぶりだよ?」
「あれもう3日前か」

 クリスマスは律が忙しい。今年も去年もそうだった。18ときには既に出勤していて、翌朝は返ってこない。クリスマスは予約で客が多いことと、ピアニストとしての需要が高いようだった。恭は年齢的に律の働く店に入るのは憚られることもあり、詳しくは知らない――が、甘い女性ものの香水の匂いをさせて帰ってくるので、あまり触れない方がいいのだろうなということはわかっている。
 律がそんな状態だとクリスマスに家にいても暇で時間を持て余すだけなので、去年も今年も憂凛の家のクリスマスパーティーに参加させてもらっていた。憂凛の家は父親が喫茶店をやっている。見た目がダンディなその父親の正体は『化生』の狐なのだが、どこからどう見ても人間と変わらないのが不思議なところだ。

「あ、恭ちゃんいつものマフラーしてるー。憂凛があげたマフラーいつ巻いてくれるの? ねえねえ」
「ガッコに手編みのマフラーしていったら俺リンチされるって……怖いんだからみんな……」
「えー。せっかく頑張って作ったから作ってほしいなあ」
「今度お休みで出掛ける時に使う!」
「ん、約束!」

 クリスマスパーティーで憂凛にもらったのが、手編みの赤いマフラー。落ち着いた赤のシンプルなもので、それほど気にしなくていいのかもしれないがやはり手作りは手作りである。男子校で手作りのマフラーを巻いて行く、というのはどうにも恐怖心が先立った。周りが女子に飢えていることはよく知っている。ただでさえ渚が卒業してから、憂凛がこうして恭に会いに来ることは多くなった。「何でお前はしょっちゅう女といるんだ」「紹介しろ」が2日に1回はやってくる。挙句の果てには「彼女か!?付き合ってんのか!?」と問い詰められる始末だ。
 恭の女子の知り合いは、大抵が『此方』の人間である。紹介しろと言われても、どうにも紹介はしにくい。猫に襲われたり関節を抜かれたりすることになりかねない、と恭は思っている。紹介する前に恭の身が無事で済むとは思えない。
 もし紹介出来るとすれば、憂凛の友人くらいだろうかと一人の女子の顔を思い浮かべる。白根 佑月という名の、憂凛の学校の生徒会に所属している少女。夏頃にたまたま会ったときに紹介されて、それから時々会う機会がある。連絡先も交換しているし、紹介するしないは別として、普通の知り合いは彼女くらいだろう。

「ねえ恭ちゃん、年末年始は実家に帰るの?茅嶋さんとこ、いる?」
「んー。お年玉もらいに帰るっちゃ帰るつもりでいるけど、でもほとんどりっちゃんさんとこいると思う。めんどくさい」

 頭の中で律が「帰れよ」とツッコミを入れる気がしたが、そんなものは無視だ。年末年始は律も仕事は休みで家にいる。去年は悠時と3人でテレビを見ながら鍋を食べて、カウントダウンをして、初詣というスケジュールだった。わいわいと楽しかったなあ、と思い出す。既に懐かしい。

「じゃあおやすみの間に、憂凛とデートしよ?」
「でーと? 初詣一緒に行く?」
「あのねえ恭ちゃん、憂凛は神社に入れないから初詣行けないんだよ!喧嘩売ってる?」
「いたいいたい」

 ぽこぽこと背中を殴られて、苦笑い。すっかり忘れていたが、憂凛は普通の女子高生ではない。『半人』――半分狐の血が流れている存在であり、人であるのは半分だけ。恭にはよくわかっていないが、きっちりとした神社は『神域』であり、所謂半分妖怪のような存在となる憂凛は神社にいる『彼岸』――『神』に招いてもらわない限りは神社の中に入れない。他にも『半人』の友人はいるが、同じようなことを言っていた。そういうものなのだろう、と恭は納得することにしている。難しいことは分からない。

「せっかく出掛けるんだったら松崎先輩とかゆっちゃんとか、あ、あとりっちゃんさんも誘って皆で遊園地とか行く?」
「……恭ちゃん? 憂凛デートって言ったよね今ね?」
「へ?うん」
「憂凛は恭ちゃんと2人でどこかお出掛けしたいんだけどな?」
「何で? 皆でわいわい行った方が楽しいじゃん」
「……ほんっと恭ちゃん馬鹿! おにぶさん!」
「いっでえ!?」

 今度は容赦なく叩かれて、衝撃で軽く吹っ飛んだ恭はそのまま顔から盛大に転んだ。冗談ではなく本気で痛い。
 半分狐である憂凛は、見た目は普通の女子高生でもその力はかなり強い。本気を出せばその拳がコンクリートを余裕で砕くことを、恭はよく知っている。普段はきちんと力のセーブをして人と変わらないように見えるよう、幼い頃から練習しているだけだ。

「あ、ごめん恭ちゃん、つい」
「……しんじゃう……」
「……えへっ」
「誤魔化すのなしぃ……」


「ただいまー」
「あ、おかえりー」
「何かいいニオイする!」
「ん、今日はシチューにしたよー」

 恭の帰宅先は、すっかり第二の我が家と化している律の家。匂いにつられてキッチンを覗き込めば、カウンターキッチンの奥、半分仕事着で鍋をかき混ぜている律の姿があった。
 金髪のオールバックで白いワイシャツを着た、バーテンダーのバイト仕様の律がキッチンに立っているのは何だかいつも違和感があって、どうにも面白いな、と思ってしまう。普段の髪を下ろしている律相手にそんなことを思うことはないのだが、恐らくバイト用の格好になると雰囲気もバイト用になるのだろう。普段とは少し違うように見える。

「んじゃ明日もシチュー食えるっすね!」
「恭くんは部活今日までだったっけ?」
「うす!」
「そっかあ。……んでまた今年の年末年始もうちにいるんだね?」
「うす! あ、でも年が明けたら一回家に帰る気ではいるんすよー。ほら、お年玉もらわなきゃ」
「家に帰る理由がそれってどうなの」

 律は呆れ返るがしかし、恭にとっては大事な問題だ。年中部活に明け暮れていてバイトをしているわけでもない。小遣いだけで何とかしている身としては、年に一度のボーナスのようなものである。
 しかしどうにも、家に帰るのは面倒だ。家に入れば最後、母親に「茅嶋くんに迷惑かけてないでしょうね!」と怒られるのが目に見えている。元々ここに下宿させてもらうような形になった時点で迷惑をかけている自覚はあるので、小言を大量に言われるのは恭にとっても辛い。
 くる、くる。鍋をかき混ぜて、レードルでシチューを掬い上げて、小皿に移して。味見をしている律を眺めてみるものの、やはり違和感が拭えない。このビジュアルで料理が上手いというのが未だによく分からない。漂ってくる美味しそうな匂いに、腹は鳴る。

「……恭くん、ガン見してないで着替えたら?もう出来るよ」
「はあい」

 呆れた声の律にへへ、と笑って。肩にかけたままだったスポーツバッグを部屋の隅に放り投げて、恭は着替えを始める。部屋が暖まっているというのは着替えに抵抗がなくて良い。脱いだ服は恭の洗濯物用に、と置かれている洗濯物カゴに入れる。「自分の洗濯は自分でしてみる?」という律の一言もあって、洗濯機の使い方を教えてもらって、恭は洗濯だけは自分でするようにしている。実際問題、洗濯物が多いので自分で出来た方が律に負担を掛けずに済む。

「はい、着替えたら持ってって」
「はーい」
「ごはん炊けてるから自分でよそってね」
「りょーかいっす!」

 シチューをテーブルに運んで、茶碗に白米を盛りつけて。セッティングが済めば、律と向かい合わせに腰掛ける。基本的に一緒に食事が出来るときは一緒に食事をするようにしているのは、お互いに話をするためだ。

「いっただっきまーす!」
「はい、いただきます」

 がつがつとかきこんだシチューは温かくて美味しい。美味しいものを食べるのは幸せだ、と自然と顔も綻ぶ。律に料理を教えてもらおうと思ったことがないわけではないのだが、恭の場合キッチンを大惨事にしてしまう。

「何でりっちゃんさんこんな料理上手いんすかー……意味わかんね……」
「俺は恭くんが何言ってるのかさっぱり分からないけどね」
「俺も料理上手くなりたいっす!」
「お願いだから俺の家で包丁を使うな、そして火を使うな」
「どーせレンジでチンしか出来ませんけど!?」

 その電子レンジも、この間空気穴を開けずにレンジに入れて、袋をレンジの中で大爆発させた。説明をきちんと読めと怒られたのは最近の話だ。そんなことばかりしているので、どうにも料理のスキルに期待は出来ない。
 もっと落ち着きがあればいいのかもしれない、とは思う。大人になるということはきっとそういうことで、かっこよさそうな響きには落ち着きが必要なのだろう、と恭は思ってはいるが、しかしそう簡単に落ち着きというものが手に入れられるのなら苦労しない。人間はそうそう簡単に変われはしない。

「あ、そういえば」
「ん?」
「ゆりっぺに年末年始どっか行こーって誘われたっす」
「いいじゃん、行っておいで。あ、俺元旦は昼から実家帰るからいないよ」
「そういや今年もそうだったっすね」
「うん。まあどっか行くなら気を付けてね」
「あ、いや、りっちゃんさんも一緒にどうかなと思ったんすけど」
「……へ? 憂凛ちゃんに誘われたんでしょ?」
「? うす」
「2人でどっか行くって話じゃないの?」
「え? 皆でわいわい行った方が楽しいじゃないすか」

 恭の言葉に、律の動きがぴたりと止まった。意味が分からずにきょとんと首を傾げた恭を眺めて、盛大なため息が吐き出される。律の表情に浮かんだのは、明らかに呆れたそれ。

「……恭くん、それ憂凛ちゃんにも言った?」
「言ったっす! 何かべしべしされたんすけど、でも誘っとかないと松崎先輩が拗ねるかなあみたいなこと言ってた」
「……憂凛ちゃんも大変だな……」
「へ?」
「いや、何でもない」

 はあ、ともう一度盛大な溜め息をはいて、律は壁にかかっているカレンダーへと目を向けた。カレンダーに書かれているのは律のシフトと恭の予定だ。
 このカレンダーに律の『ウィザード』としての仕事の予定が書きこまれることはない。本来なら書いておきたいのだろうが、律はそういった仕事の話が恭の目に触れるのを避けている。このスケジュールを見て律が休みだと思っても、実際は『ウィザード』の仕事をしていていない、というのはよくある話だった。

「……ま、俺は遠慮しとくよ」
「えー、行きましょうよー」
「俺の予定に合わせちゃったらいける日が減っちゃうでしょ。また今度ね」
「一生来る予定がなさそうな『また今度』っすねえ……」
「そんなに拗ねなくても」
「拗ねてないもん」

 こうして律と生活するようになって1年半は経っているが、律とどこかに出掛ける、ということは基本的にない。律が忙しすぎるのだ。バーで働いて、『ウィザード』として仕事をして、時折海外に行っているときもある。そんな律と予定を合わせるのは、確かに少し厳しい。

「ま、その代わりと言っちゃなんだけど、また初詣は一緒に行こうか。今年は芹ちゃんいるから悠時はうちに来ないだろうし」
「分かんないっすよー、2人で来るかも」
「あり得るな……」
「またなかみーの神社っすか?」
「そうだねえ」

 近所にある龍神が祀られた神社のことを思い浮かべる。知り合いの『陰陽師』が神主を務めているその神社は、初詣で露店が出ている――というわけではないので、本当に行って少し喋って帰るだけ、ということになるだろう。年々参拝客が増えているという話なので、そのうち露店が出るようになる可能性がないわけでもないが。ベビーカステラぐらいは食べたい、という希望は胸の内に仕舞っていく。

「てかなかみーの神社に行くのってりっちゃんさんが振る舞い酒飲みたいだけでは?」
「失礼だな……まあ飲むけど……」
「ほらあ!」